ラシード・マシャラーウィ『外出禁止令』(1994)

 ラシード・マシャラーウィ(Rashid Masharawi)監督の94年の作品、『外出禁止令(Hatta Ishaar Akhar/Curfew)』鑑賞。東京国際映画祭のマシャラーウィ特集もこれが最後の一本だ。上映後に監督夫妻が登場して、アジアの風部門の石坂健治プログラミング・ディレクターの質問に答える形でのトークショー

 最初の長編作品だという本作は、91年の第一次インティファーダ及び湾岸戦争後の2か月にわたる外出禁止令の中で脚本が執筆されたのだそうだ。舞台はガザの難民キャンプ。海外留学中の息子から届いた手紙を、一家で集まって読もうとしているところに、突然外出禁止令を告げる放送が響く。通りからはあっという間に人の姿が消え、大人たちは大慌てで店のシャッターを下ろし、外に遊びに出た子供を呼び戻す。洗濯物を庭に干すのさえはばかられる厳しさだ。禁止令下では買い物もままならぬため、家にある食材を全部並べ、何日分の食事になるか分類しておく。

 父は腰の病気らしく家で療養中。成人した息子は3人おり、一人は結婚して妻子と同居しており、一人は留学中だが、もう一人は定職についていない様子で両親の心配のタネ。その下に思春期の妹と小学生くらいの弟がいる。

 前日に観た『エルサレム行きチケット』もそうだったが、家の構造が面白い。字幕で「中庭」と表現されている場所は実際には屋内で、父のベッドがあり居間兼客間にもなっているらしい。鶏がうろうろしていたりもするので完全に室内という感じでもないようだが、日本ならさしずめ昔の土間のような役目なのだろうか。外には出られないため、隣家との行き来の際は窓から出入りする。とんとんとんからりんと隣組、といった感じで夫婦喧嘩の仲裁から、味噌醤油ならぬ玉ねぎを借りに来ると言った具合(近所に催涙弾が撃ち込まれ、症状緩和に玉ねぎが必要になる)。

 『ガーダ パレスチナの詩』を観た際にも、料理の場面が印象的だったが、この映画でもジャガイモか何かを乱切りにするのに、まな板を使わず手に持ったままナイフでどんどん削いでゆく場面が見られる。また、みじん切りには半月形で両側に柄のついた包丁が使われていたが、調べてみたらどうもイタリアではMezzalunaと言われるものらしい。エジプトではほぼモロヘイヤスープ専用で用いられるとか。映画では何の料理をしていたか定かではないが、なるほどあれなら合理的だ。

 

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 表面上は穏やかに見える一家だが、息子たちは母に隠れてこっそりビラを配ったり、落書きによる異議申し立てを行ったりしてもいる。末っ子は隣家の同じくらいの年頃の少女と仲が良く、窓越しに色々話をしたりしているが、家宅捜索が行われそうになると機転を利かせビラの包みを彼女に預ける。こんな年頃の子供たちの生活にも政治が入りこんでいるのだ。

 映画祭サイトでは三日間となっているが、時間の経過はあまりよくわからない。IMDbでは24時間と説明されているが、後半の夜の場面は一晩の出来事ではないようだ。外で起きていることは、末っ子が隙間から覗いて報告するのみで、映像による説明がないためいっそう不安がつのる。やがて実際に一家の戸をイスラエル軍兵士が叩き、禁止令後はじめてカメラも外に出る。限られたセットの中で生老病死の全てが描き出され、演劇的な印象の作品だ。

 マシャラーウィは占領下のパレスチナで映画を撮った初めての監督である由*1。当時はプロの役者もおらず、出演者には演技のワークショップから始めたのだとか。ちなみに、夫に気をつかいながら暮らす母親役を演じたのは実生活では市長の妻で、男性と対等にやり合う活動的な女性だということだ。

 息子の妻の役として登場しているのが、監督の妻となったアリーン・ウマリ。彼女はこの作品が劇映画への初出演だったそうだ。他にも、後に『パラダイス・ナウ』を撮ることになるハニ・アブ・アサドが外出禁止令を聞いてシャッターを下ろす店員役で出演していたり、イスラエル兵士は『D.I.』(未見)の監督エリア・スレイマンだったりと、パレスチナ映画人が意外なところに顔を見せている。

 

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*1:ルート181』(未見)や『ガリレアの婚礼』のミシェル・クレイフィも早くに作品を発表したパレスチナの監督だが、ベルギーでの制作だったとの事。