ラシード・マシャラーウィ『Waiting』(2005)

 春のアラブ映画祭で見逃したパレスチナのラシード・マシャラーウィ監督『Waiting(Attente)』。ガザに「国立劇場」設立計画が持ち上がり、専属俳優を探すべく各地の難民キャンプにオーディションをしに行く、一種のロードムービーだ。

 オーディションスタッフとしてガザを発つのは三人。シニカルな主人公(マフムード・アル=マッサド/Mahmoud al Massad)と、かつてパレスチナの放送局でキャスターをつとめていた女性ビサーン(アリーン・ウマリ/Areen Omari)、カメラマン(ユーセフ・バールード/Youssef Baroud)だ。行先はヨルダン→シリア→レバノン

 いざオーディションを始めたものの、プロの俳優はなかなか現れない。俳優になれればパレスチナに帰れるとの望みを抱いてやって来る人々や、自分の姿がテレビに映れば音信不通になった家族に安否を伝えられると期待して来る人々が大半。ようやく俳優が現れても、「待つ演技」をしろという課題にうんざりして帰ってしまったりと、なかなかスムーズに進まない。主人公自身、この「国立」劇場のプロジェクトが本当に成功するとは思っておらず、取り合えず言われるままにオーディション風景をカメラに収めて帰るつもりだ。

 48年に、しばらくしたら帰れると思ってパレスチナを脱出、以来60年の長きにわたって待たされたまま帰還が不可能になった人々の心の中には、故郷の姿がいまなお息づいている。しかしそこに存在するのは地理的・時間的の二種類のノスタルジアで、地理的にはいつか帰還が可能になったとしても、時間的に過去の故郷には二度と帰ることができない。オーディションにやって来た難民の口から語られるパレスチナが、今ではすっかり姿を変えてしまったことを知っている三人は、彼らのノスタルジアを受け止めかねて困惑する。

 一方、彼らもただ国外に出たわけではない。ビサーンはレバノンにいるという父の消息を求めてやって来ており、再婚したという情報を耳にしてショックを受ける。父の居所は尋ね当てるものの、国外に出かけており会うことはできない。留守居の妻は親切に姪と名乗った彼女をもてなし、彼女は新しく生まれた弟を膝に抱く。

 各地の難民キャンプを回り、重い気分で帰途につこうとした三人を襲うのは、建設中の劇場が爆撃され、国境も封鎖されたという知らせ。難民たちに待つ演技をさせていた彼らが、今度は国境の外で待つ側に回ることになる。呆然とした彼らの表情をとらえ、映画は終わる。

 直前の『エルサレム行きチケット』が希望を感じさせるラストだったのに対し、こちらは終始一貫して宙ぶらりんの状態。レバノンでは一行の案内人が、難民キャンプでの虐殺事件の犠牲者の墓へ案内するが、三人とも行くことを渋り、車を下りても早々に退散する。この場面は三人の心情がどうもつかめなかったが、パレスチナ在住者と国外の難民との意識のずれ、あるいは生々しい記憶である虐殺の地が一種の観光地として存在していることへの違和感だったろうか。

 ロケはガザではなく、建設中の劇場はシリア、海辺のシーンはベイルートというようにヨルダン・シリア・レバノンのみで撮ったとのことだった。

 

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