イリス・ザキ『美容室』(Women in Sink、2015)

 故郷ハイファで友人フィフィの経営する美容室にカメラを設置し、女たちの髪を洗いながらインタビューする監督。アラブ人キリスト教徒の店だが、ユダヤ人の常連客も多い。ほぼ10年前の撮影だが、第二次インティファーダ以降イスラエル国内に醸成された民族関係の緊張が背景にある。アジアンドキュメンタリーで配信。

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 監督Iris Zakiはユダヤ人で、祖母がポーランド(現ウクライナ領)出身だったという。ホロコーストを生き延び、ナクバを経たハイファにやって来て、アラブ人が出て行った後の家屋に住むようになったというから、まるきりガッサーン・カナファーニーの小説『ハイファに戻って』の登場人物と同じだ。だが、小説とは異なり、家屋を残して去ったアラブ人が戻って来ることはなかったようだ。孫娘は「アラブ人は危険だから近付かないように」と言われる環境で育ったが、イスラエル社会に疑問を持つようになり、故郷の街で取材することを思い立つ。

 カメラの前で語る女性は監督を除いて10人。ユダヤ系の客が多数だが、イスラエルに暮らすアラブ人キリスト教徒の生活も窺える。「私たちもユダヤ人は怖いと教わったからお互い様ね」とかわすナワルという女性の場合、ナクバで親戚の四分の三はレバノンに脱出したという。現在も交流はあるが、イスラエル人はレバノンに入国できないので、ヨルダンか欧州で会うという。ヘレンという客はアラブ人キリスト教徒の父と超正統派の家庭に育った母との間に生まれた。母方の親族は結婚に反対したが、授かり婚で押し切ったらしい。兄弟の中にはユダヤ教を信仰する者もいるが、彼女はキリスト教徒だという。

 アラブ人の間でも、キリスト教徒とイスラーム教徒では時として軋轢が表面化することがある。06年のレバノン侵攻の後、イスラーム教徒はイスラエルのアラブ人キリスト教徒に敵対的になったという。アラブ人社会を支えようと決めたという女性のコメントも。

 店主のフィフィは娘が国防軍に入隊しているという。アラブと戦うことになったらどうするのかと聞かれ、「自分はイスラエルの人間だから構わない」との答え。ナザレ生まれのリームは、三年前に結婚してハイファに来たが、故郷よりずっと良いという。アラブ人であることで差別を受けたと感じたのは大学時代くらいだが、ハイファでは異なる宗教が平和的に共存していると語る。イスラエルの中に差別はあるが、ハイファの街では感じないというのが複数人の証言だ。

 他方、ユダヤ人の語りはさらに複雑だ。学校教師のカリンはアラブ系の子供にまでユダヤ人の伝統を教え込むことには批判的で、アラブ人とユダヤ人が融和するよう子供に教えているが、自分が少数派であることは自覚している。アラビア語を話すダリアという女性は父母の出身地はポーランドとロシア。イスラエルユダヤ人の国だという信念を持つ彼女は、アラブ人が身近にいる環境で育ったのでアラビア語も話せるようになったという。しかし「人種差別は少なくとも私の周りにはない」「アラブ人を排除しているのではなく、彼らが勝手に出て行くのだ」という主張は曲げない。

 ポーランド出身の女性イリットは、少女時代ゲットーや地下室の隠れ家で暮らした経験を持つ。ホロコーストのトラウマを抱えつつ、まだ「トラウマ」という言葉も知られていなかった頃で、苦しみが続いたと語る。イスラエル政府はホロコーストのサバイバーに対して何もしてくれない、語られた言葉を信じてもくれないと、別の側面からイスラエル政府を批判する。

 こうした様々な女性たちがこの美容院の常連となった理由を、ユダヤ系のイェフディットが説明する。彼女の姉が遠くの街で移植手術を受けることになった時、常連客たちが店に集まって一緒に祈ってくれたという。店主の人柄もあり、宗教が異なっても、女たちの心理的な結びつきが形成されている。

 店内のカレンダーは2014年。10年前の監督は、ハイファに帰って共存への信念を強め、カメラを片付けて店を後にする。10年後の今、ガザへの攻撃がなお続く中、ハイファの女性たちは同じことを語れるだろうかと思う。

 

★ラシード・マシャラーウィに『ハイファ』という長篇劇映画がある。ハイファに残ることのできたキリスト教徒の暮らしとは別に、ハイファの街をを後にしなければならなかった人々の、難民キャンプでの暮らしが描かれている。

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