モア・ルーシー、ダニエル・シヴァン『オスロ・ダイアリー』(The Oslo Diaries、2018)

 1100日以上に及んだオスロ合意のプロセス。パレスチナイスラエル双方の当事者の日記やインタビューをもとに、水面下の交渉に始まり、オスロ合意Ⅱのステップまでの過程を再構する。イスラエル・カナダ製作、アジアンドキュメンタリーズ配信。

 

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 イスラエルのラビン首相の暗殺と、次いで行われた選挙でのネタニヤフの首相選出により、オスロ合意が「暗殺され」るに至るまでの経緯が、当時の映像を交えつつ示される。

 テロの頻発していた当時、イスラエルにとってPLOを交渉相手に認めることは、「テロリスト」を交渉のテーブルに着かせることでもあった。イスラエルパレスチナの歴史を研究する大学教授二名がまずオスロに赴き、水面下でPLOの代表と接触する。繰り返し重ねられる秘密協議の中、双方が望むのが平和であることが確認され、しだいに秘密を共有する仲間意識が芽生えてゆく。

 交渉は通訳を介さず、英語で行われたようだ。ヘブライ語でもアラビア語でもなく、互いに第二言語である英語で話すことが、ほどよい距離を生んだのかもしれない。

 イスラエルの元軍人は、PLOの交渉チームと初めて面会した時、両頬にキスされて感じた困惑を語っている。男性間でもキスしあうアラブの身体距離が、イスラエル人を当惑させたのもさりながら、「テロリストにキスされた!」というショックでもあったという。

 さらに、互いに交渉相手の背景を知るうちに、相手が軍事作戦でかつて自分の親友を殺していたことに気付き、交渉を打ち切ろうとしたことも語られる。「兄弟も同然の友人たちだった、彼らを殺したあなたと交渉は無理だ」とイスラエル側が訴えると、パレスチナ側は「でもそれを二度と起こさないために我々はここにいるのだ」と食い下がる。

 歴史的にユダヤ人とアラブ人のどちらに居住の正当性があるか、あるいはナクバやテロの犠牲について語り始めれば、どちらも譲ることはできなくなる。すでに起きてしまったことはいったん置き、双方にとって現実的な妥協案を探ることが確認され、具体的な提案が話し合われることになる。

 そして至ったワシントンでの調印式。クリントン大統領を挟み、PLOアラファト議長に握手を求められ、イスラエルのラビン首相がいかにも気の進まない様子で手を握る姿が見られる。アラファト議長は満足げにがっちりと手をつかんで大きく上下に振る。イスラエル国内で、「テロリスト」と握手したというイメージが強調されることを避けたのでもあろうが、実際この段階では首相個人としても強く抵抗があったのだろう。

 しかし、オスロ合意から数か月後、ヘブロンの聖地マクペラの洞窟で、イスラエルの入植者が礼拝中のイスラーム教徒を無差別に銃撃し、殺害するという事件が起こる。当時イスラエル外相だったシモン・ペレスは議会で入植地からの撤退を訴え、殺人者をアラファトにたとえる野次に対し、あくまでもPLOを相手に和平を進めるという姿勢を強く示す。だが、入植者の引揚げは結局行われず、報復テロの犠牲を出すに至る。

 すでにラビン首相が暗殺された事実を知っている今、ドキュメンタリーとして編集された経過を見ると、憎悪を煽り首相を敵視する空気が醸成されていたことが分かる。オスロ合意Ⅱが結ばれた直後、平和集会で登壇し、帰りの車に乗ろうとしたところで凶弾に倒れる。ペレスの回想によると、彼が集会の日ほど幸福そうだったことはなかったという。

 ネタニヤフの演説も収められるが、映るのは「聖書に約束された地」という呪文によって、聴衆からラビンへの呪詛のコールを引き出す扇動者としての側面だ。ラビン暗殺の報に接したアラファトは「オスロ合意が暗殺された」と漏らした由。

 2016年に亡くなったペレス元外相の最後のインタビューも収められている。「まだ和平の可能性を信じているか」との問いに、「イスラエルにもパレスチナにもほかの道があるとは思わない」「戦争は被害者しか生まない、平和によって置き換えられない限り」と。

 2024年の現在から振り返ると、オスロ和平プロセスはつかの間の夢だったかのように見える。密度の高い交渉に参加したメンバーには、立場を超えて相手と友情を育んだ者もいた。いずれも敵と握手した裏切り者と見られることを甘受し、まず現在の交渉相手が人間だと気付くところから、時間をかけて互いの人生を垣間見、剥き出しにされた傷を直視し、和平という共通の目的に向かって交渉を進めていた。いずれも当事者の回想であるだけに、割引すべき部分や別の角度からの見方もあるだろうが、少なくともこうした努力が過去になされたこと、そして30年が過ぎた今、「反ユダヤ」との圧力に抗しつつ侵攻停止を訴えるイスラエル人、そして世界各地のユダヤ系の人々の運動が存在することも注視に値するだろう。