インドネシアの女性監督モーリー・スルヤ(Mouly Surya)による、ヌサトゥンガラのスンバ島を舞台にした劇映画。原案はガリン・ヌグロホ。色々驚くところがありすぎて、あんぐり開いた口が最後までふさがらなかった。スンバ島が舞台だそうで、犬や豚が飼われているキリスト教徒の村落。
盗賊の首領マルクスが一軒家を訪問するところから始まる。高温多湿のインドネシアにあって、スンバ島は乾燥気候で山地の植生も草と灌木ばかりだ。庭の墓碑を確認した後、マルクスは戸を叩く。地形を生かして屋外のロングショットは固定カメラで画角を広く取っている。額縁にはめ込まれたような屋内シーンの撮影は、西部劇というより武侠映画の戦闘シーン直前の緊張感を思わせもする。
出迎えた女マルリナは、夫は留守だというが、「その死体は誰だ」とマルクスに喝破される。スンバ島では人が亡くなった後、すぐに埋葬せず、膝を抱えた姿勢で屍衣に包み、殯の期間は居間に安置して死者と共に寝起きする由。これが分からず、途中まで事件性のある死体なのかと思っていた。*1庭の墓碑は息子のもので、マルリナは息子に続いて夫を亡くし、さほど時間が経っていないことが分かる。
マルクスは煙草とビンロウ、さらに食事のもてなしを要求し、後から到着した仲間たちに、マルリナの家畜をすべてトラックで運ぶよう命じる。犬が吠え、縛られた豚が担ぎ出されてゆくのは、キリスト教徒の村であるからだと後に判明する。
マルリナは隙をみてスープ・アヤムに毒を仕込み、男たちを毒殺する。この毒の赤い実はキンマの葉に包んで寝室の鏡台の引き出しにしまってあるので、強壮剤か催淫効果をもたらすものかと思ったが、すり潰して服用するとごく少量で即効性のある致死毒になるらしい。後で友人である妊婦ノヴィが台所の床にその実が落ちているのを認め、マルリナが彼らを殺した方法に気付くシーンがあるので、土地では身近な有毒植物なのだろう。
なたのような山刀が、どの家にもある日常の道具であると同時に、武器にもなる。マルリナはひそかに山刀を寝台に隠し、隙を突いて、自分を強姦したマルクスの首を切断する。この一連の経緯は、Phoebe Puaによるビデオエッセイ《How To Cook Marlina’s Sup Ayam》(2024年2月6日)によって再構成されている。(MAI: Feminism & Visual Culture のオンラインジャーナル13号に掲載)
翌朝、彼女はマルクスの首を「人質」としてひっ提げて、乗り合いバスで村の派出所を目指す。皆恐れをなして逃げ出すが、友人のノヴィは深く尋ねず、隣村に夫を探しに行くと言って臨月の腹を抱え、平気で同乗する。さらに途中で、息子の婚資を届けるという母子が四の五の言わせず乗り込んできて、コメディタッチに。
派出所にたどり着いたマルリナは、強盗と強姦の被害を訴えるが、警察官は形だけ調書を作るものの、まともに取り合う姿勢は見られない。さらに毒殺を免れたマルクスの手下二人が、首を取り返そうとマルリナをつけ狙い……。
携帯電話が登場するので21世紀の設定なのだろうが、公共交通は一時間に一本のバス、電気も水道も通っておらず、村の警察署では被害届をタイプライターで作成している。複数の時代が並存しているような不思議な感じ。知性のかけらもない悪党に、黒い笑いをもたらす画面構成。
フィルムの背景については、西芳実『夢みるインドネシア映画の挑戦 (シリーズ混成アジア映画の海)』英明企画編集、2021)「秩序を回復し家族を守る女を描く――闘う女たちのホラーと活劇」の章に、スンデルボロン映画と併せて詳しい紹介がある。第三幕 Confession における食堂の少女トパン(マルリナの亡き息子と同名)が神の使いであり、彼女とのやりとりが告解であるとの指摘に蒙を啓かれた。
「[……]強盗を殺した妻は公権力が機能していない状況で社会から責めを受けることはなく、神との関係においても告解のプロセスによって赦される。その後の出産も、父なしで生まれたイエス・キリストの姿と重ねた描写を通じて祝福が与えられている。『マルリナの明日』は、キリスト教の表象を巧みに織り交ぜて、強盗を殺したマルリナを化け物扱いするかわりにマリアの姿に変え、非道な出来事を被った人々に犠牲者や化け物としてではない行き方があることを示している」(242-243頁)
告解前のマルリナの目に繰り返し映る、マルクスの首なし幽霊の姿については、旧日本軍兵士の亡霊のイメージが影を落としているのかもしれない。マレーシアやシンガポールの都市伝説では、首のない幽霊といえば旧日本軍兵士の亡霊だ。このイメージはインドネシア各地にも共通するものではないかと想像される。処刑された住民ではなく、侵略者である日本兵(同時に日本側の歴史記憶では「戦争に取られた」犠牲者でもあるが)が首を失っていることと、盗賊の首領が頭部(すなわち顔貌も)を失った無力な亡霊と化すことは、同じ想像力に根ざす復讐の表象であろう。もっとも、スンバ島では実際に、マルリナ同様の女性被害者が加害者の首を提げて自首するという事件が、繰り返し起こっているという。
なお、クリステヴァの『斬首の光景』も参照項としてメモしておく。
*1:次第にダークコメディの様相を呈してくると、まさか遺体がむっくり起き上がるのでは……と半ば期待したが、『SAW』ではない。