Rob Sixsmith『アイスコールド 殺人とコーヒーとジェシカ・ウォンソ』(Ice Cold: Murder, Coffee and Jessica Wongso、2023)

 インドネシアの犯罪ドキュメンタリー。2016年にジャカルタのカフェで Wayan Mirna Salihin という若い女性が急死した。彼女の飲んでいたアイスコーヒーからシアン化物が検出され、状況証拠から一緒にいた友人の Jessica Wongso による毒殺が疑われる。裁判の末、オーストラリア籍のジェシカ・ウォンソは有罪、20年の禁固刑が確定した。
基本的に遺族や友人、カフェで事件当日勤務していた店員、ジャーナリスト、検察官、弁護士といった関係者へのインタビューから構成される。

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 動機に関しては結局裁判でも明らかになっていない。幼なじみで一緒にオーストラリアに留学した二人の女性の関係について、死亡したミルナがジェシカの愚痴を聞いて「そんな彼氏なら別れたら」と言ったのが引き金だというのも憶測の域を出ない。
しかし、二十代の美しい女性の死はメディアでセンセーショナルに取り上げられ、報道合戦の趣を呈した。裁判では参考人として出廷した研究者が、被告の顔の特徴を時代遅れの人相学で判断する始末。

 事件の経緯で不審なのは、遺族が遺体を傷つけることに反対したため、検死が十分になされなかったこと。シアン化物は確かに体内から検出されたものの、致死量にははるかに及ばないという。病理解剖をしていないので、正確な死因を判断することはできない。脳出血などで急逝したという可能性も排除できない。犯行に用いられたとされるシアン化物についても、致死量相当を飲料に混入したら、被害者だけでなく店内で意識を失う人が出るだろうとの見方も出されている。薬物の入手経路についてはフィルムで一切言及されなかったので不明。

 インタビューに応じたミルナの父は、ジェシカを犯人だと決めてかかっている。しかしカメラはその腕の高級腕時計や大きな石のついた指輪を故意に大きく映し、成金趣味を強調する。ミルナの墓はキリスト教式に装飾が施された大きなものだ。

 獄中のジェシカへのインタビューは、一回だけ実現したが、その後は許可が下りず中途で終わっている。彼女の出身背景は不明だが、ミルナの家族と同様に富裕層であることは間違いない。弁護士がインタビューに答えているが、ターコイズの派手なスーツで、視覚的にはいかにもうさんくさい。オーストラリア警察からの情報で、ミルナがかつて自動車で建物に突っ込んだり、自傷で通報されたりした記録が残っていること、抗うつ薬などを服用していることも明らかにされ、メディアでは精神疾患へのスティグマが助長されることになる。

 インドネシア人はこの事件を、国民国家の物語を伝えるテレビという装置でさんざん見せられてきた「メロドラマ」の枠組みでとらえ、善なる主役を虐げる悪役が最後には倒される物語を期待するのだというメディア批評が加わる。

 また、被害者も容疑者も裕福な家の出身だという事実がもう一つの憶測を呼ぶ。状況証拠のみで有罪と判断することの是非の問題だけではなく、有罪でも類似の判例からすると量刑が軽すぎるのだという。司法界の贈収賄を示唆してこのフィルムは終わる。

 最終的に、カメラの前で取材を受ける全員が怪しく見えてくるという奇妙なドキュメンタリーだ。ジャカルタでは彼らの服装や言動、カメラの前での身ぶりは違和感なく受け止められる範囲なのか、編集によって強調されているのかは気にかかる。