ダリオ・アルジェント『サスペリア』(Suspiria、1977)

 ドイツを舞台にしたイタリア映画だが、Amazon Prime Video で配信されている字幕版は英語音声のため、何とも奇妙な鑑賞体験となった。

 アメリカからドイツのバレエ学校に留学するスージージェシカ・ハーパー)だが、フライブルクに着いた途端に土砂降りとなる。ようやくタクシーを捕まえて夜の学校に行ったものの、インターホン越しに「登録がない」と追い出されてしまう。直前に混乱した様子で出て来た少女が、傘も持たず林の中を歩いてゆくのが見える。

 美術と照明がとにかく凝っていて、どのカットも美しく、完璧な映画と呼びたくなる。スタジオ撮影だろうが、シーツの幕や隠し扉の奥の迷路のような通路など、舞台を見るようだ。最初に少女が殺されるアパートメントのピンクに始まり、赤系の色が多用されているが、副校長のピーコックグリーンの瞳が最後の孔雀のモチーフにつながっていたりと、青と緑の寒色に包まれた殺害場面もまた鮮烈だ。多分に演劇的な身ぶりと鮮血のビジュアルに、印象的なテーマ曲が繰り返し変奏されて不安を煽る。

 いつも何かに驚いたように大きな目を見開いているジェシカ・ハーパーがまたいい。殺される女たちもみなバレエダンサーの設定なので、細くすらりとした手足に薄い胸という体つき、その白い皮膚に刃物が食い入り鮮血が吹き出すシーンの美しさときたら(血には鮮やかな赤が用いられ、絵画のようで生々しさは感じられない)、女の肉体がオブジェとして扱われているといえば確かにそうなのだが、性的な不安や嫌悪感は覚えない。少女たちが集まるロッカールームも、男子の噂話はしても性的な雰囲気は薄く、男子はほんの添え物のような扱いだ。学校のスタッフも、男は決して口をきかない不気味な巨漢と子供しかおらず、学校は女たちによって支配されている。

 バレエ学校があるのがエッシャー通り、さらに冒頭の少女が殺されるバスルームの壁紙が鳥と魚を組み合わせた意匠で、これから展開されるだまし絵の世界を期待させる。スージーは同室のサラ(ステファニア・カッシーニ)が行方不明になった後、彼女が信頼している友人だと語っていた男フランク(ウド・キア)に連絡を取る。フランクは精神科医で、サラはもともと彼の患者だった。魚の群れが上昇につれて鳥の群れへと変じてゆくように、どちらに注目するかでそこに描かれるものは変わる。バレエ学校の創立者ギリシャ出身の魔女だったことについて、最初に死んだ少女から聞かされたサラは、夜な夜な先生たちの足音に耳をすまし、不安を募らせる。感じやすい彼女の心に与えられた衝撃を精神病理として読み解くか、学校で魔女の集会が開かれていると解くか、どちらの見方も描かれていることに変わりはない。

 スージーとサラの名がいずれもSで始まることについて、ほかの女子生徒が Snake のSだとからかうシーンがある。魔女の研究をしている精神科医も蛇の喩えを持ち出し、魔女は蛇の頭のような存在で、魔女を失った集会は頭のないコブラにすぎないと喝破する。頭を失いのたうち回る蛇の断末魔のように、ラストシーンは背景に炎に包まれる校舎が映し出される。

 それにしても、魔女はギリシャから、用務員はルーマニアから、炊事と清掃係はロシア語圏からと、魔術的なものはやはり東方から訪れるのだった。