1845年、マサチューセッツのバニフィールドという町。のっけから処刑される魔女の視点で始まる。目の部分だけ開いた何かを顔に被せられ、吊り下げられて火を放たれる。魔女の魂は小さな陶器の人形に封じられる。これはkern baby と呼ばれるお守りの人形で、農地の木のうろなどに入れて豊作を祈ると同時に、悪霊を封じる働きがあるという。2月31日というあり得ない日付を刻印したプレートと鎖で縛られ、その魂が永遠に解放されないようなまじないがほどこされていた筈だったが……。
時は現代、主人公はかつて捏造記事で大スキャンダルを起こし、職を追われたジャーナリスト。今は細々と怪しげなネタを追って日銭を稼いでいる。牛の尻に悪魔崇拝の記号が印され、怪死事件が起こったという情報を追って農場に行くが、農場主のメタリカファンの息子のいたずらと判明。しかし手ぶらでは帰れないと、偶然見つけたカーン・ベイビーを踏み潰し、牛の怪死と結び付けようと画策する。
しかし帰途、道の真ん中に立ち塞がる少女に驚かされて車は木に激突、主人公は無事だったが、人形を見つけた木の下にひざまずく少女を見つける。彼女は神父の姪のアリス、18歳のろう者だが、それ以来突如として言葉を話せるようになる。
バニフィールドの奇蹟としてたちまち聖地の認定が完了、アリスは聖母マリアの預言者として信仰を集めるようになる。マリアを信じさえすれば、先天性のろう者もまったく支障なく流暢に会話ができるようになる上、筋ジストロフィーの少年も歩けるようになる。アリスはこれまで誰にも言葉を聞かれることがなかったのに、今は部屋に入ると皆が彼女の言葉に耳を傾ける、音楽も好きなように楽しめると無邪気に喜ぶ。主人公はジャーナリズムの世界への返り咲きを期して、アリスの独占取材権を獲得、奇蹟の広報に一役買うが、やがて疑念がきざしてくる。
魔女がかつて遺体を沈められた川から這い出してくるシーンが注目される。トニ・モリソンの『ビラヴド』も、母の手で殺された赤ん坊が少女に成長した姿で、川から出現する。もしかするとアメリカの民話に出典があるのだろうか。
結局、1845年に繰り返し奇跡を起こし、人々の病を癒したものの、信じない者が次々に殺されたことから魔女だとされ、村人によって殺害されたマリアという女が子孫にあたるアリスの身体を通じて蘇ったのではないかと疑われる。アリスは村人たちの命をマリアに捧げる儀式を執り行うが、途中で主人公たちに遮られ、マリアの声が「続けないとお前の耳をまた聞こえなくしてやるよ」と言ったことで自分が操られていたことを知る。
「障害」の治癒が善とされる奇蹟の物語から、再びろう者としての生活に戻るアリス。主人公も信仰を取り戻し、野心を捨ててやり直すことを考える。魔女狩りもののパターンに則った宗教映画でありつつ、町おこしの経済効果を狙って都合の悪い情報は隠蔽する教会の工作が描かれたりと、若干のひねりがある。
しかし、人によっては、病んだ体と生きることに倦み疲れ、魔女の力でもなんでもよいから治癒してほしいと望みもするだろうし、また逆に障害を社会モデルで考えれば、ある個人が歩けるようになっても根本的な問題は解決しないわけで、その葛藤を無視して本物の聖母か魔女かという判断に回収するのはもったいない。
Netflixで再生回数トップ10に入っているのは、監督が『ヴァチカンのエクソシスト』の脚本に参加していることで注目されたせいだろうか。