中島哲也『来る』(2018)

 序盤に田舎の親類の集まりと、結婚式のシーンが交互に出て来て、表面上は和やかなのにものすごく気持ちの悪い感じが続く。極めつけは新居披露のホームパーティーで、外面ばかりよい夫(妻夫木聡)と、その縁者の中に放り出された妻(黒木華)。

 夫の田舎では、悪い子は「ぼぎわんにさらわれるぞ!」という言い伝えがあり、そのせいかどうか夫の幼なじみの少女は行方不明になったまま見つかっていない。「そのうち呼ばれるよ」と最後に少女に言われた記憶はうっすらあるものの、なぜか少女の名前も思い出せない。

 やがて夫婦の間に娘が生まれ、夫は育児ブロガー(顔出し、実名)として知られるようになるが、時を同じくして一家には様々な怪異が訪れる。

 夫の友人の民俗学者とさらにその知人のライターを介し、霊能力を持つ比嘉姉妹が家に出入りするうち、夫と妻のそれぞれの側から、表面的な和やかさの裏にうごめくうす気味悪さの正体がだんだん明らかになる。

 最後はマンションを封鎖し、全国各地から宗教を問わず霊能力者を召集し、祭壇を設けて祓いの儀式を行うという大変大がかりな展開に。姉妹の姉(松たか子)は沖縄のユタだが、中盤まで電話で声のみの出演なので、実在すら疑われる。当然それもプロットの一部で、画面に登場してからは一気に話が動いてゆく。

 原作『ぼぎわんが、来る』はかなり怖いと聞いたが、映画は怖さより息をつかせない怒濤の展開で見せる作り。堕胎する女の側ではなく、堕胎させる男の側が映されるのもよかった。弱いところから忍び込む正体不明の怪の象徴は大量の毛虫。これは『呪詛』と類似のパターンで、繁栄をもたらす一方で定期的に生贄を欲する金蚕のたぐいを村に祀っていたのかもしれない。