金華青『仄暗く赤い森』(絳紅森林、2021)

 『チベット・ガール』の男性監督・金華青によるドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 四川省カンゼ・チベット族自治州白玉県に位置するヤチェン(亜青)寺。尼僧たちは長い冬の間、雪原に一人一室ずつの簡素な僧坊を築き、中にこもって修行する。時々ヤクが窓から鼻を突っ込んだりも。サイコロ型のカプセルのような僧坊が、寺院の付近に大量に並ぶ様子は圧巻だ。体調不良者は寺院内で休むことが認められているというが、点滴をしながら修行する尼僧もいる。

 ヤチェンに関してオンラインですぐに読める論文は2007年の刊行で、当時からすでに尼僧が多く、8千人が修行に集まっていたことが分かる。

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 幼いうちに出家する尼僧も多く、お堂ではあどけない少女たちが、皆の前でマイクを使って懸命に法話をし、緊張した面持ちで質問に答える。いかにも利発そうな少女たちもいれば、一日の最後に導師を訪ねてくる尼たちには、学び始めたのが遅かったができるだけ多く学びたいという年配者、修行がうまくゆかないと涙する若者、言葉にならずうつむいたままの者、あるいは発達特性かコミュニケーションに困難があるように思われる者と、様々な背景が窺われる。仏法を求めるだけではなく、困難を抱えた女性にとってのある種のセーフティネットとしての役割もヤチェンにはあるのかもしれない。

 そして、修行の末にこの地で生涯を終える尼僧もいる。二回にわたり鳥葬の様子が映される。鎚を手に遺体から離れる尼僧の姿が見えるのは、禿鷹についばみやすく骨を砕いているようだ。たちまち待ち構えていた禿鷹が群がり、遺体は隠れて見えなくなる。離れた場所で尼僧たちが経文を唱える中、死者は空に運ばれてゆく。棺も副葬品も何もなく、裸で横たえられ、何一つ俗世に残すことない去り方は理想的ではないだろうか。そのような来し方あって初めて可能となる最期ではあるが。

 冬に撮影されたシーンが多いが、緑の草が匂うような夏の映像も、厚い僧衣に身を包んだ姿に高原の気候の厳しさを窺わせる。冬は粉雪のちらつく中、屋外で講話を聞く様子も映る。毛皮の裏地の衣に、さらにビニール袋の中に座るようにして下半身を包み、すのこ越しに地面から伝わる冷気を防いでいるらしい。降水量が少ないので雪はさらさらと積もり、そう深くはならないようだ。

 その後、ヤチェンでは政府により立ち退きが求められ、尼僧の大半が2019年夏までに去ったという。大集団での修行はおそらく感染症の襲来には耐えられなかっただろうし、医療資源も充分とは思えないので、2020年の疫禍を前に結果的には予防措置となったのかもしれない。しかし、命を賭しても残りたいと願いながらも、去るように導師に説かれ、涙ながらに別れを告げる尼僧の姿の前に、その結果論が意味を持つものであるかどうか。家族のもとに帰ったり他の修道院に入れた者はよいが、幼い頃からの修行生活で、導師が懸念したように在家の暮らしに適応できない人もいたのではないか。

 修道院を離れた若い尼僧が、岩山の高みに同じように僧坊を建て、ほら貝を鳴らすシーンで終わる。夏には祭礼で若い尼僧たちが五色の帯を締め、長い袖を翻してくるくると舞う姿も収められている。