エリザ・クバルスカ『K2 天空に触れる』(K2 - Touching the Sky、2015)

 『クンバカルナの壁』に続き、エリザ・クバルスカの山岳ドキュメンタリーを溯って観る。登山家として撮影当時18年のキャリアを持っていた彼女は、登山家であることをやめず、同時に母になることができるかと自分に問いかける。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 カラコルム山脈に位置し、パキスタンと中国(新疆ウイグル自治区)国境にそびえる世界で二番目に高い山、K2。「ブラック・サマー」と呼ばれる1986年の夏には事故が相次ぎ、13人の登山家が命を落とした。父や母をK2に奪われた遺児たちが集まり、クバルスカとともにその地、バルトロ氷河を訪れる。その記録と、亡くなった登山家たちの遺したフィルムや録音テープ、生還した登山家へのインタビューを織りまぜて構成されている。

 あちこちに人骨やミイラ化した遺体が転がる氷河。転がる靴は脱ぎ捨てられたものではなく、持ち主の肉体が風化した後、遺骨だけが中に残されている。K2に選ばれた者だけが生還することができる。大きな荷物を背負うポーターたちが列をなして登ってゆく。

 この旅に加わったのはリンジーとクリスの姉弟、ウカシュ、ハニヤの四人だ。家族がいながらすすんで自らの命を危険に晒し、結果的に死別の悲しみを味わわせることになった登山家たちに対し、子供たちの思いは複雑だ。

 ハニアの父タデウシュは登山家で作家でもあったが、登頂後に滑落死した。遺体は見つかっていない。その時、娘はまだ母のお腹の中にいた。彼女は登山はしないという。

 ウカシュは4歳の時に母をK2で亡くし、数年後には父も山岳事故で失っている。母の遺体は一年後、日本チームが発見して収容された。それでも自身登山家の道を選択し、母の形見の時計を身につけて山に入っている。妹と離ればなれになり、祖父母のもとで育った彼は、「登山家は子供を持つべきではないと思うか」とクバルスカに聞かれ、「そうは言えない、そうしたら僕はこの世にいない」と答える。彼の母は出産後に探検を始め、わずか数年間で集中的に活動していたという。

 リンジーとクリスの母、ジュリーは英国人女性初のK2登頂を成し遂げた後、下山中に滑落したが、かろうじて一命を取り留めた。しかしその後、嵐で身動きが取れなくなり、夜中に高山病と思われる症状で亡くなった。遺体は収容されていない。当時のニュースフィルムで、10代のリンジーは父と共に取材を受け、「登頂が母の望みだったのだから誇らしく思う」と気丈に答えている。しかし葬儀も行われない中、母の死を受け入れるには時間がかかった。

 ウカシュは登山家としての視点から、「どのチームも時間をかけすぎている、少なくとも誰かが引き返すと声を上げるべきだった」と指摘する。しかし、実際に山の稜線を目にしたリンジーは、母がどこの地点にいたかを知り、「そこまで来ていて諦めるってことはない、何度も挑戦しているのだから、先に進むのが人間の本能だ」と気色ばむ。
周囲の人間を犠牲にして危険を冒す登山家の利己性を考え、四人と旅をし、彼らの対話をカメラに収めた後、クバルスカは「あなたには同じ思いをさせない。あなたの母になっていい?」とナレーションで語る。出産後の最初の登山と思われる姿で、沢に座りわが子を抱いて遠くに目をやる彼女の姿でフィルムは終わる。

 

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 『クンバカルナの壁』では登山をサポートするシェルパにもカメラが向けられていたが、このドキュメンタリーではパキスタン人ポーターと登山者の関係には深入りせず、彼らの仕事と休憩の様子が映される程度だ。焚き火を囲んで歌い踊る姿や、盤面を四色に塗り分けたボードゲームに興じる様子が挿入されている。山で命を落としたのは登山家だけではなく、パキスタン人ポーターも犠牲になっているはずだが、岩壁に取り付けられた死者の名が刻まれたプレートには、欧米人と思われる名前ばかりが映る。