劉育瑄『身為在台灣的新二代,我很害怕』

劉育瑄『身為在台灣的新二代,我很害怕』(台北:創意市集、2020)

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 電子書籍(Readmoo讀墨電子書)にて。

 著者の劉育瑄は刊行当時(2020年10月)22歳、台湾生まれで母がカンボジア出身の広東系華人という「新二代」だ。「新二代」とは、台湾で「新移民」ないし「新住民」と呼ばれる人々の子供たち(二世)を指す。横田祥子「新移民――中国・東南アジアからやってきた新しい「台湾人」――」には次のように説明される。

「新移民」とは「1990年代末以降、結婚や出稼ぎを契機として台湾に到来した、東南アジア諸国および中国出身者のことをいう」(149頁)

『台湾を知るための60章 (エリア・スタディーズ147)』(赤松美和子・若松大祐編、明石書店、2016)

 劉育瑄の場合、さらに車椅子で生活している父が公的補助を受けていたこともあり、東南アジア出身者に向けられる視線に加え、社会格差についても小さい頃から意識せざるを得なかった。

 彰化で育った彼女の周囲には同様の境遇の児童生徒がおらず、 高校に入ってから様々な資料、特に学術論文を読みあさり、自分の家族の社会的な位置づけを探ったという。

それどころか、高校に入るまでの私は、自分が「新二代」だと気づかずにいた。公民の教科書に「台湾では大陸や東南アジア出身の配偶者との国際結婚がますます増加しているが、往々にして社会的経済的地位の低い社会的弱者の家庭であり、こうした新移民の子女を「新台湾の子」と呼ぶ」とあるのを読みながらも、そう書かれているのが自分のことだとは考えてみることすらなかった。

(より多くの「新二代」と未来への展望に捧げる)

 甚至,高中以前的我,從來沒有發現自己是新二代。當我看著公民課本上寫著「台灣有越來越多的與大陸和東南亞配偶跨國婚姻,常常是低社經地位的弱勢家庭,這些新移民的下一代,叫做『新台灣之子』」,我甚至沒想過這段文字描述的人就是我。(獻給更多的新二代與未來展望 

 序文には、小学校の卒業式の際、最優等で表彰されたにもかかわらず、保護者席から「お母さんが台湾人じゃない子ね」とささやかれるのが聞こえたという。この本に記されているのは、「お母さんが台湾人じゃない子」というレッテルによって奪われていた自分の名前を取り戻し、アメリカの大学に進学して、ほかの学生たちと対等な「劉育瑄」として尊重されるに至るまでの自己形成の過程だといえるだろう。

 自分たち一家が当然得られるはずの敬意、手にしているはずの尊厳が「奪われている」という認識に出発し、自分が言葉や習俗といった母の文化からどうして遠ざけられていたのかということを考えてゆく。彼女は当事者として、自分を取り巻く社会の構造に思考をめぐらし、あり得たはずの自分の姿(広東系華人の習慣の通りに小さい頃からピアスをつけ、母語として広東語を話し、カンボジアの親戚たちとも自由に話せる)がどうして実際にはそうならなかったのかを考え、また広東語を少しずつ学習してそこに自分の姿を近づける努力を惜しまない。

 そこには当然ながら怒りの感情も生まれ、台湾社会を批判する舌鋒は鋭い。

皮肉なのは台湾政府だ。彼らは、「新二代」は二つの言語と二つの文化というアドバンテージを備えており、台湾の新南向政策の小さな尖兵として、台湾に巨大な経済利益を勝ち取ってくれると言う。かつて台湾社会に広く見られた東南アジア文化への偏見のために、私は二つの言語と二つの文化を身につける機会を失い、さらに親戚の半分を失ったというのに。

(ピアスをするのは不良少女?)

讓我覺得諷刺的是台灣政府。他們說,新二代擁有雙語和雙文化的優勢,可以成為台灣新南向政策的小尖兵,為台灣贏得龐大的經濟利益。因為過去台灣社會普遍對東南亞文化的歧視,我喪失了擁有雙語和雙文化的機會,也失去了我一半的家人。(穿耳環就是壞女孩?

 

時間が巻き戻せるなら、私は同じ言葉を話すことで母の側に立ち、ああいう人たちに自分の行為のばかばかしさを知らせてやりたい。私は台湾アクセントの中国語を完璧に話せるだけで、どこに行っても最低限の敬意は払ってもらえる。でも、母はなまりがあるだけで「嫁に来た連中」と知られ、他人の目には一段低く見られ、あるべき敬意が失われてしまう。私がこうした人々の前で広東語に切り替えて母と話す時、私は彼らの考える「高級台湾人」の境界線を越える。台湾アクセントの中国語を話せる者だけが、自分たち高級台湾人だという歪んだ考えだ。(同上)

時間能倒轉的話,我想藉由說同一種語言表示我跟母親站在一起,來讓那些人知道自己行為的荒謬。我因為能完美地說出臺灣口音的國語,就能到哪都享有到基本的尊重;反之,我媽僅僅是因為口音一聽就知道是那些「嫁過來的」,就在他人心裡矮了一截,失去了她應有的尊重。當我在這些人面前切換成廣東話跟母親交談時,我就能跨越他們心中那條「高級台灣人」的界線,能說台灣腔國語的人,才是我們高級台灣人的扁平想法。(穿耳環就是壞女孩?

 実際、文章を発表するようになってから、同世代のベトナム系「新二代」の読者から、癒やしを求めて劉育瑄の文章を繰り返し読んだと言いながらも、時に文中の怒りと苦しみがそれを同様に経験してきた彼女にとっては過剰だという感想を受け取ったという。「新二代」としての成長の経験を持たない読者にとってはいっそう、文中にこもった憤激を受けとめ共有しようとするか、それとも自分に非難の矛先が向けられていると感じてシャットアウトしてしまうか、自分たちの社会に対するやり場のない怒りにどう向き合うか、台湾に暮らす読者は試されることになるだろう。そして同様に、日本においても劉育瑄の怒りや苦しみを分かち合う子供たちの経験を、他人事としてではなく受けとめられるかどうかが試されることになる。

 他方、こうした怒りの大部分は、「もし~なら」「~してやりたい」という言葉で綴られている。幼い頃から幾度となく無知と無理解にさらされてきたため(悪意がこめられているものでなかったとしても)、それに対する「怒りを感じて良い」と自分に許すまでに、当意即妙の受け答えで相手を煙に巻くことを、護身術のように身につけてきたのかもしれない。

 ちょうど一冊の真ん中には、母の帰郷に伴われて高二の夏をプノンペンで過ごした際の衝撃を綴った篇章が置かれる。それまでの台湾での生活では、自分が母の面倒を見る側だったのに、プノンペンについた途端に母が「まるで大人のように」自分に助けの手を差し伸べてくれる。さらに、母の故郷ではあるが、広東語もクメール語も話せない自分は、親類縁者に囲まれている間も「外国の子供」でしかないことを思い知らされる。台湾に戻ってからも、言葉が自分から剥落してゆく感覚の中、二週間ほどの失語を経験することになる。この体験が転機となり、広東系華人の母の文化を自分の身に取り戻してゆこうと決心するに至る。

 家を離れて台中の私立高校に通った彼女は、東南アジア各地の料理や物産が並び休日には東南アジアの移民労働者が集う「第一市場」に足を運び、東南アジアの文化やそこに暮らす人々についてほとんど知らなかった友人たちを案内したという。

 最後には付録として彼女の母へのインタビューも収められている。1973年頃の生まれの彼女は、幼児期に両親を失い、ポル・ポト政権崩壊後は集団農場を逃れてプノンペンに戻ったものの、10歳上の兄と二人でベトナムに生計の道を求め、南部の町で食べ物を売って暮らしを立てたという。二年ほどでカンボジアに戻ったもののそのまま就学の機会を逃してしまった。15歳ほどで印刷工場に勤め始めるようになり、数年経って生活が安定してから、ようやく夜間学校に通って華語の読み書きを覚えた。90年代のカンボジアでは国際結婚を仲介する業者が多く、26歳の時に見合いをし、台湾に渡ることを決めたという。正午に飛行機から降りた相手は、午後3時に彼女と会ってすぐ結婚を申し込み、きちんとした人だろうという兄の見立てで彼女も承諾し、翌日には結婚写真を撮り、三日目には飛行機で台湾に向かったというスピード婚。中国語でなされたインタビューは簡潔な語りだが、このお母さんの人生こそ一冊のノンフィクションになるどころか、どれだけページを重ねても足りないのではないだろうか。

 

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「新二代」作家の著作では、退役軍人の父と、インドネシア華僑の母の間に生まれた陳又津が自分の経験を綴った『準台北人』(台北:印刻、2015)がある。巻末には「海風:書寫新二代與新二代書寫」と題して彼女が「新二代」たちを訪ねたインタビュー集が収録されている。1986年生まれの陳又津は、国民党の兵士として大陸から渡ってきた父の娘としては最も若い世代の一人だろうし、国際結婚による東南アジア生まれの母の娘としては最初に自らの経験を文字にし始めた作家の一人だろう。 

  台湾では業者の仲介による国際結婚は1960年代に溯り、当時はタイやインドネシアの女性が中心だったという。70年代末から80年代初頭には、台湾に渡った東南アジア華僑により、インドネシアやフィリピン、タイ、マレーシアの女性を台湾の退役軍人に紹介することが見られたそうだ。陳又津がインタビューした二世も八〇年代生まれが中心で、ほとんどが大陸出身の「栄民」(退役軍人)の父と東南アジア出身の母のもとに育った。

  なお、東南アジア出身の女性と台湾男性の国際結婚については、「外国人嫁(外籍新娘)」とのネガティブな呼称を与えられた女性たちとその夫が、「行政とメディアの言説の中で、「劣った他者」として描き出され」*1てきたことが指摘されている。夏暁鵑のこの書は、台湾と東南アジア各国の歴史の交点に生まれた多くの家族について、他者として観察の対象とするのではなく、著者自身が米国留学時にエスニック・マイノリティとして経験したことに立脚し、自身の位置に幾度となく立ち返りつつ、結びつきの視点から展開されている。

*1:夏暁鵑『「外国人嫁」の台湾 グローバリゼーションに向き合う女性と男性』、前野清太朗訳、2018、31頁。原著2002