徐嘉澤『次の夜明けに』(三須祐介訳、書肆侃侃房、2020)

 徐嘉澤(三須祐介訳)『次の夜明けに』(書肆侃侃房、2020)。原題は『下一個天亮』、台湾の二二八事件に始まる白色テロの記憶に始まり、祖父・息子・孫の三世代がそれぞれ台湾現代史を自分の身に引き受けて生きてゆくさまが描かれる連作短篇集。

二二八事件の直後、新聞社に勤めていた祖父・は、上司や同僚が連行されるのを目の当たりにし、人格を保つことができなくなる。妻は子供を抱え、大小便垂れ流しで身の回りのことも何一つできない状態になった夫を連れて、台北から夫の姉を頼って高雄に身を寄せる。結局、彼が何を経験したのかは、伝聞と家族の想像でしか知ることはできない。晩年に至り、彼はひそかに紙に字を書き記すようになるが、妻も含め家族の誰もそれについて見ることはかなわず、彼の死後も書きためられたはずの原稿の行方は分からない。

最初の一篇で提示されたこの原稿の謎が、最後に明かされた時、兄弟はそこに書かれていたことをどう受けとめて生きるかの決断を迫られる。

やや気になったのは、兄の人権派弁護士が関わる外国人労働者の権利についての裁判の篇。台湾社会をどのような形に作って行くべきかという希望を描く時、「同志」と並んで、新移民・新住民と名指される外国人労働者や外国籍配偶者の存在に触れるのは、恐らく、街を歩けばあちこちで高齢者の乗った車椅子を押す東南アジア出身のヘルパーの姿を見かけ、工場や建設現場でも多くの外国人労働者が欠かせない存在であるにもかかわらず、文学の世界で彼らが可視化されることがまだまだ少ないせいだろう。(増えつつはある)

ただ、その人生が、台湾社会をより良くしようとする努力の側から描かれることには若干の違和感を覚えた。台湾に来て働いている彼の姿というより、彼を取り巻く台湾社会を描くことに重点が置かれ、穿った見方をするなら、兄の弁護士の人生を完成させるために彼のような「社会的弱者」が人物として配置されたようにも取れる。とはいうものの、作家にとってそうした批判は恐らく織り込み済みで、単純な加害と被害の二項対立に回収されない社会の複雑性を描く際に、誰を台湾社会の構成員として捉えるかを明快に示す必然性から、書かれねばならなかったのだろう。