台湾セクシュアル・マイノリティ文学[3]『新郎新“夫”』

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[3]小説集――『新郎新“夫”』【ほか全六篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 3)

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[3]小説集――『新郎新“夫”』【ほか全六篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 3)

 
  •  許佑生「新郎新“夫”」(男婚男嫁/池上貞子訳、1996年)

おれはいい気持ちがしなかったが、ひそかに甘い感じもした。自分がやきもちを焼いているのがわかった。おーっ、おれは今アーモにやきもちを焼いている。おれは生まれてはじめて理屈にかなうやきもちを焼いたのだ。ずっと考えているうちに、小学生のとき一等賞の賞状をもらいに壇上に上がった時のような感じがして、うれしさに笑いがこみ上げてきた。(117頁)

 恋愛小説にはふつう主人公たちに様々な試練が課されるが、それでも愛情を信じて努力するというようなのは面白くない。社会的な制約や障害より、そもそも愛情などというものが自分に許されると思っていないような主人公が、少しずつ自らに禁じていた領域に分け入ってゆくようなのがよい。
 ここに収録されるのは作者の自伝小説のうち、前半の第一部の翻訳。十三歳で自分が同性愛者だと気づいた語り手が遺書をしたためる場面の回想から始まるが、すぐに今では「男と結婚」していることが明かされるので、読者はどこかで決定的な悲劇が起こるのではないかと冷や冷やせずに済む。
 中学の同級生に初恋を覚えるくだりは、まるでロマンス小説のように甘酸っぱく、読んでいて恥ずかしくなるほどだが、大学を卒業してテレビ局で上司と微妙な関係に陥るあたりから、物語には複雑な陰影が生まれる。上司は往年の二枚目俳優で、主人公の亡くなった母が彼の大ファン、自分の失われた愛をドラマの役柄に投影していたのだった。〈欲望の三角形〉と読み解くにしても、三角形の一つの頂点が自分の母というのはかなり変則的で、話がややこしくなってくる。しかも上司は自分から誘っておきながら、あくまで二人の関係は秘密にしたがり、同時に女性タレントとも付き合いはじめる始末。
 彼との関係に行き詰まりが見えてきた頃、19歳の少年アーモと知り合い、彼の案内でゲイバーに出入りするようになる。上司にとっての自分に相当するようなアーモと親しくはなるものの、弟をかわいがるような気持ちでおり、それ以上の関係には進まない。ついに突破する決意をしたところで、フィクションではと疑いたくなるような急転直下の展開を迎える。
 訳出されていない第二部では、傷心の主人公がアメリカに渡り、同性婚をするまでが描かれるそうだが、続きが気になって日本の読者には何とも酷な編集だ。

  • 呉継文「天河繚乱――薔薇は復活の過去形」(天河繚亂/佐藤普美子訳、1998年)

 これも長編小説の抄訳。男として生まれ性別違和を抱える成蹊が、日本に渡りナイトクラブで女装して働くようになり、モロッコで性転換手術を受けるまでが訳される。ここから日本人の議員との関係がどうなるのか、続きが気になるところだ。

  • 阮慶岳「ハノイのハンサムボーイ」(河內美麗男/三木直大訳、2000年)

 台湾からどういう理由でかベトナムにやってきた「彼」。どうやら同性の恋人と距離を置くために台北を離れたらしいが、事情ははっきりしない。バイクタクシーの運転手に声をかけられ、言われるままに乗車したところ、信号待ちの間に「マッサージはいりませんか?」と聞かれる。マッサージは断ったものの、翌朝ホテルに迎えに来るよう依頼する。
 運転手は英語もほとんど通じず二人の会話は困難だが、彼が台湾人だと知った途端、奇妙な反応を見せる。幼なじみの女友達が台湾に嫁がされたことから、台湾人に対して反感を持っていることのだと説明される。
 「彼」はこの運転手に対して微かな欲望を抱き、運転手もそれに感応するものがあるが、近づくような避けるような距離感のまま旅程は終りに近づく。二人の身体は接近を繰り返すものの、決定的な欲望の表出には至らない。バイクで背中から寄り添うことはできても、正面から対峙して感情があらわになろうという瞬間、怒りと欲望の両方が抑制され、可能性が排除されてしまう。
 運転手が華人であるのかどうかは読み取れないが、そうであれば二つの国の二人の男の関係はいっそう緊張をはらむものとなるだろう。

  • 曹麗娟「童女の舞」(童女之舞/赤松美和子訳、1991年)

 「私」こと素心の目から高校の同級生の鐘沅との関係が、結婚し妊娠する28歳までにわたって綴られる。二人の関係は最初から友情とは異なるものだが、「女の子は女の子をどれくらい好きになれるのか」(183頁)という不安から、「女同士はセックスできるのか」(193頁)という問いへと進んだところで、つかず離れずの距離が続く。結局、鐘沅は男とセックスをするが、それは男とのセックスを通じて問いに答えを見出そうとするためでもあった。二人はそれぞれに別の相手の身体を通じて、互いを知ろうと試みる。

  • 洪凌「受難」(獸難/櫻庭ゆみ子訳、1995年)

 『フーガ 黒い太陽(感想)に「暗黒の黒水仙(ダフォディル)」その2「獣難」の題で収録されている。

  • 陳雪「天使が失くした翼をさがして」(尋找天使遺失的翅膀/白水紀子訳、1994年)

 家を出て行った母親に対する複雑な感情を抱えた主人公。母に復讐しようと次々に男に抱かれるが、全く感じることがない。愛するため、密封された自己を掘り出すために小説を書き続けるある日、阿蘇という女と出会い、はじめて情欲が呼び起こされるのを感じる。彼女の励ましによって、ようやく小説は完成を見るが、同時に阿蘇は姿を消してしまう。
 抑圧されていたセクシュアリティーの解放が、母親との関係を見つめ直し、母を愛する自分を受け入れることと同時に進行する。因と果が複雑に絡み合った問題は、どちらか一つを解決して済むものではなく、両方を同時に解きほぐしてはじめて「翼」を再び手に入れられるようだ。

フーガ 黒い太陽 (台湾文学セレクション)

フーガ 黒い太陽 (台湾文学セレクション)