朱天心『古都』

 

古都 (新しい台湾の文学)

古都 (新しい台湾の文学)

 

 〈新しい台湾の文学〉シリーズの一冊、朱天心『古都』(清水賢一郎訳、国書刊行会、2000年)。収録作は「古都」(古都/1996年)「ハンガリー水」(匈牙利之水/1995年)「ティファニーで朝食を」(第凡内早餐/1995年)「ラ・マンチャの騎士」(拉曼查志士/1994年)「ヴェニスに死す」( 威尼斯之死/1992年)の五篇。
 これは読むのが辛かった(特に表題作)。いずれも記憶をめぐる物語で、「古都」では主人公が「人々の生活の痕跡を保存しようとしないような場所は、見知らぬ都市と同じではないか? それが見知らぬ都市であるならば、どうしてそれをことさら大切に思ったり、慈しんだり、護ったり、アイデンティティを抱いたりしなければならないのか……」(68頁)と物思いにふけりながら、台湾からの観光客として京都の町を歩き、逆に植民地時代の痕跡を訪ねる日本人観光客の目で台北を散策する。京都というところは街全体がテーマパークのように感じられて落ちつかないのだが、なるほど私は朱天心の世界には入り込めないわけだと納得した。
 固有名詞の洪水に目眩がする。ほとんど引用の接ぎ合わせで地肌が見えないような箇所は、特に興味のない街の観光案内を読んでいるような気さえしてくるほどだ。ただ、こうした大量の引用は、そこに何らかの必然性を読み取って、典故を読み解くように丹念にほどいてゆくべきなのだろう。

 だが、それより読む気が失せたのが次の場面。主人公は学生時代、友人の留守に部屋を借りて彼氏とセックスしたことを回想する。フローリングの床に精液を出してしまい、何度も拭いたが「床板の隙間にしみこんでしまった」というくだりにぞっとする。まあ、部屋の主にしても、自分の布団で友人カップルが寝ても構わないというくらいなのだから、その程度は気にしないのかもしれない。しかし、なんだか自分がこれまでに借りたアパートの床にも、先の住人のものが染みこんでいたのではないかと、作品とは関係ないところで急に気持ちが悪くなってきた。