陳芳明『台灣新文學史 下』

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 昨日に続き陳芳明『台灣新文學史 下』(臺北:聯經、2011)。
 女性作家を重視しているのは上巻でも感じたが、下巻では第十七章「台灣女性詩人與散文家的現代轉折」、第二十三章「台灣女性文學的意義」と二章を割いて女性作家をまとめて紹介している。それまで軽視されていた作家とその作品に文学史上の位置を与えようという目的かもしれないが、「女性文学」として一つのカテゴリーに入れることで、逆にその枠に閉じ込めてしまう危険性もあるのではという気もする。
 ユニークなのは1980年代以降の文学を紹介する第二十二章「眾神喧嘩:台灣文學的多重奏」の中に「馬華文學的中國性與台灣性」という項が設けられていること。マレーシアから台湾に来て文学活動を行った(あるいは台湾の外に居住しながら台湾の媒体に作品を発表した)作家がここで触れられ、特に李永平・張貴興・林幸謙・陳大爲・鐘怡雯・黄錦樹の紹介に筆が割かれている。あくまで台湾文学史に関係する馬華作家に限定しているので、「在台馬華文学」とすべきところかもしれない。もっとも、李永平はマレーシアという国家への帰属意識は無いというから、こうして「馬華文学」にカテゴライズされることは不本意かもしれないが。*1
 全体に小説・散文・詩の三つの文体に限られていて、映画との関係は小野の脚本と朱天文ら女性作家の作品の映画化に触れる程度。また、戯曲に関する記述がほとんど見られないのは、台湾ではオリジナルの戯曲がよほど少ないのか、それともあえて取り上げなかったのか気になるところである。
 一般の読者に向けて書かれているらしく、文体は読みやすい。ただ、中文系の学生や研究者も読むことを考えると、巻末には年表だけでなく、索引と参考文献リストも付してあればどれだけ便利かと惜しまれる。
 なお、個別の記述についていうと、ポストモダン作家の項で舞鶴の紹介に思ったより多くの紙幅が割かれている。彼の『鬼兒與阿妖』は初読ではいちおう最後までページはめくったものの、まったく歯が立たなかった。中国語力の不足のためと思って三年くらい寝かせて再挑戦したが、特に理解度が増したということもなかった。本書の解説によると、「《鬼兒與阿妖》是突破性別疆界的身體小說,企圖擺脫男女性別的二元思維方式」(679頁)ということだ。私はつい、「-兒」のつく名前で呼ばれるのが男で「-妖」が女、などと無意識のうちに想像しながら読もうとしていたのがいけなかったらしい。しかも見たこともないような語彙が次々に出現して、隠語だろうと調べてもどうやらそんな言葉は無いようだ、というのが分かっただけだった。これは「酷兒」が「鬼兒」になるように、隠語や術語がさらに一ひねり加えられて元の意味からずらされ、つまりずらしにずらしを加えた重層的な文体になっているからのようである。しかしそういう見当がついたからといって、読めるようになるかというとそういう作品でもないような気がするが、そろそろまた三年経つので再読してみるか。

*1:しかし、映画・演劇まで含めるなら蔡明亮ツァイ・ミンリャン)も馬華作家のカテゴリーに入ることになりそうだが、彼はジャンルが違うというより立ち位置が違うような気もする。確かにマレーシアはクチンの出身(李永平と同郷)で、マレーシアでも長編を撮っているけれど、蔡明亮の場合はどんなにローカルな風景を撮ってもその場所性は問題にならないというか、世界中どこで撮ったとしても蔡明亮蔡明亮だよねとしか言いようがないというか…。