サタジット・レイ〈探偵フェルダー〉二作

 

 映画監督として知られるサタジット・レイが小説を書いていたことを、しばらく前に見たドラマシリーズ『X-Ray』で知った。祖父と父は児童向け月刊誌を刊行していた出版人で、青少年向け読みものの創作は三代続いた伝統であったという。
 児童向け小説のうち、くもん出版から二冊の探偵フェルダーものが刊行されている。いずれも『インド花綴り』シリーズの西岡直樹訳、挿絵もインドゆかりの画家によるもので、ベンガル語からの訳のようだ。ベンガル人が活躍する探偵小説を通じて、ベンガル人の目から見たインド各地の風物、そしてその視線から逆に照らし出されるベンガル文化の豊穣さをベンガル語読者の少年少女に伝えるような作品。
 子供向けではあるが、食品や風習・祭祀についてしっかり注があるのがありがたい。インドの空気の匂いが感じられるような街や人物の描写も楽しく、ツイストの効いた落ちにうなる。
 また、面白いのは、どこに行っても必ずそこにはベンガル人がいるので、登場人物の会話はほとんどベンガル語で済むというところ。ベンガル語は話せるが読み書きはヒンディー語しかできないという相手に、ヒンディー文字でベンガル語を書いて通信するというくだりもあり、そういうことができるのかと感心する。ローマ字で日本語を書き表せるようなものか。
 
サタジット・レイ『黄金の城塞』(西岡直樹訳、石踊紘一絵、くもん出版、1991)
 舞台はラージャスターン州カルカッタ在住の十五歳の少年トペシュと従兄の若き探偵フェルダー(本名プロドシュ・ミッティル)は、書店主シュディルから依頼を受け、ドゥルガー女神の秋祭りの時期、カルカッタからラージャスターン州ジョードプルに向かうことになる。

 

 

 シュディルの八歳になる息子ムクルには前世の記憶があり、昔のラージャスターンと思われる風物をしきりに語って新聞に載る。それに目をつけた超心理学者ヘマンゴ・ハズラ博士が、少年を連れて現地に行ってみたいと言い出したのが事件の発端だ。二人が旅に出たその日、近所の少年が誘拐される。すぐに帰されるが、どうやら秘密の財宝のことを口にするムクルと間違われてさらわれたらしい。心配したシュディルは、フェルダーに息子の旅先での様子を見に行ってほしいと依頼する。
 
バラトプル駅に着いて、はじめてぼくたちはクジャクを見た。プラットホームの反対側の線路に、三羽のクジャクが自由に歩きまわっている。フェルダーは言った。
カルカッタじゃスズメやカラスがとびまわっているが、ここじゃそれがクジャクとオウムだ。」
ターバンを巻き、ほおひげをたくわえた男の姿がだんだん目につくようになってきた。
ラージャスターン人である。服装は短い腰布をひざまでたくしあげ、わきにボタンが並んでついた上着を着ている。足にはさきがとがって反りあがった重そうな靴、そしてたいていの男が手に棒を持っている。(54頁)
 列車で乗り合わせた天然ボケで小心者の探偵冒険小説家・ラルモホンが旅に加わり、フェルダーたちは博士とムクルと合流し、一緒にムクルの前世記憶をたどって城塞巡りをすることになる。しかしムクルはぼんやりしていて彼の探す黄金の城塞以外のことには反応が乏しい。さらにホテルで一緒になった冒険家マンダール・ボース、その連れのマヘーシュワリーなる男まで加わり、怪しい人物が増えてゆく。列車で見かけた怪しい男とも遭遇し、何者かがムクルの行方を追っているらしく、ホテルには警告の手紙まで届く始末……。
 黄金の城塞とは、イエローサンドストーンで築かれたジャイサルメールであったと判明する。あっさりと財宝のありかも見つかるが、凶暴なクジャクが巣をかけているのでそのまま守らせておこう、ということに。
 砂漠地帯のラージャスターンの人々に対する恐れを含んだベンガル人の視線が、ほとんどエキゾティシズムに近いものである点は71年当時の感覚としてメモ。
 英題は The Golden Fortressベンガル語版は1971年、英語版は1988年公刊。サタジット・レイ自身によって映画化されている由。
 
サタジット・レイ『消えた象神 – ガネーシャ』(西岡直樹訳、山本明比古絵、くもん出版、1993)
 舞台はカルカッタからガンジス河沿いの町バラナシへ。カルカッタ在住の「ぼく」トペシュ、そして探偵フェルダーと冒険探偵小説家オルフェ・ジョタユことラルモホンは、ネタ集めにとバラナシへドゥルガー女神の川流しを見に行くことにする。ついでに話題のマチュリー・バーバー(魚聖者)に会ってはどうだろうか――。
バラナシ、ワーラーナスィー、またむかしはカーシーとも呼ばれた世界に名立たる古都、そんじょそこいらの町とはちがう世界の聖地、世界の巡礼地なんだよ、ここは……。『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』、聖仙や修行僧、ヒンドゥー教イスラム教、仏教、ジャイナ教、みんな集まってこの都市の、ひとつの幻影をつくりあげている。だからこの町は、いくら汚れたって伝統に光り輝いているんだ。ここの住人たちは日々の生活に追われてそんなことを考えるひまもないだろうが、数日ここを訪れる人は、だれもみなこんなことに思いをめぐらせて、胸の中が熱くなるんだろうなあ……。(19頁)
 
こういう信心の力があるからこそ、今日の機械文明の発達した時代にもバラナシはバラナシでいられるんです。月面の地下に都市をつくって人間が住むようになったって、バラナシはあいかわらずバラナシのままだと思いますよ。(139-140頁)
 
 バラナシの旧家ゴシャル家に曾祖父の代から伝わる黄金のガネーシャ像。緑のダイヤのついた聖像のおかげで家に幸運がもたらされたと信じられているが、息子がマチュリー・バーバーの集会に出かけた隙に盗まれてしまった。以前から神像を欲しがっていた町の権力者マガンラールが怪しいと睨まれる。しかしマガンラールは、ゴシャル家の息子から頼まれて買い取ったのだと説明し、この件から手を引くようにとフェルダーらを脅迫する。さらにゴシャル家に三十年にわたって毎年ドゥルガー女神の像を造りに来ていた神像職人まで刺殺されてしまう。
 ゴシャル家の孫息子ルクは冒険探偵小説の主人公になりきって生きている、インドのドン・キホーテとも言うべき少年。凧を操る彼と友達のスーリヤが事件の鍵になる。最後に探偵フェルダーの口から事件の経緯がすべて明かされ、一件落着かと思いきや、何とそのトリックはかつてラルモホンが小説に書いていたことが判明する。「あなたはあなたの筆の力で、現にこんな謎にみちた大事件をおこさせてしまったと言うべきですよ」と慰めるフェルダー。
 ベンガル人コミュニティでの事件で、タゴールの戯曲『カブール人』がちらっと登場するのもポイント。
 英題は The Elephant God ――Joy Baba Felunath――ベンガル語版は1976年刊行、英語版のクレジットはない。