サタジット・レイ『ユニコーンを探して─サタジット・レイ小説集』(内山眞理子訳、筑摩書房、1993)

 サタジット・レイの短編小説集。これは児童文学として書かれたものではなく、大人向けの内容だ。落ちのあるユーモア小説からダークな怪奇小説、そしてチベットを舞台にしたファンタジーまで、すべてベンガル語からの翻訳とのこと。

 

 

 訳者あとがきには、タゴールから八歳のサタジット・レイに贈られた八行詩が訳出されている。
 
あまたの歳月をかけ、遥か彼方へ足を運び
あまたの金をかけ、あまたの国を巡り
高い山々の峰を
洋々たる大海を私は眺めて来た。
だが私の目は忘れていた
わが家のすぐそばに実る
ひと粒の稲穂の上に降りた
ひとつぶの玉の露を見つめることを。(356頁)

 

 世界の山々と大海を見尽くしてこそ、すぐそばの稲穂の露に目をとめることを知るのかもしれない。サタジット・レイの小説にもベンガルとインド各地、さらにインドとその外側というように、稲穂の露と山海の両方の視点があるように思われる。
蛇(Khagam)
 『マハーバーラタ』に登場する、友人を呪詛によって蛇に変えた聖者カガムのエピソードが引用される。人間が蛇に姿を変えるというストーリー以上に、「人間の脱け殻」という表現がすさまじい。
 
それは、蛇の脱け殻であった。全体に菱形の模様のついた、新しく脱ぎ捨てられたばかりの蛇の皮であった。
しかし、ほんとうに蛇の皮だったのだろうか。蛇はあれほど横幅が広いわけはないし、体の両側から手足が抜き出ているわけもない。
それはじつに、人間の脱け殻であった。人間であることを止めた人間の。彼は今、穴の中にとぐろを巻いて潜んでいる。彼は毒牙を持ったキングコブラだ。(40頁)

 

台詞(Patalbabu Filmstar)
 急に映画出演を依頼された、元俳優志望の中年男ポトル・バブ。しかし行ってみると、若手スターにぶつかって「ああ」と言う通行人役にすぎなかった。しかし彼は気を取り直し、師の言葉を思い出して、ひとりで役作りをし、会心の演技を見せる。
 
ここにいる彼らは分かってくれただろうか。このささやかな役をせいいっぱい演じようと、彼がこの短いショットにつぎこんだ労力と心の思いを、ほんとうに、ここにいる人びとが分かってくれただろうか。彼にはそうは思えなかった。彼らは必要な人員を確保し、必要な動きをその人たちにやらせ、その労働にたいして支払をする、そして仕事から解放される。(69頁)
 
 ポトル・バブはそのまま出演料の支払いを待たずに現場を去る。
その男(Ratanbabu ar Sei Lakta)
 ドゥルガの祭りの休暇を利用して,毎年旅に出るロトン・バブ。名所見物ではなく、誰も聞いたことのないような小さな町を訪れるのが常だ。
 
行く先々で彼は、必ず何か心の中に喜びを満たすようなものを見つけて来るのであった。たとえば、ラジャバトカワにあった一本の古いインドボダイジュの木。その木はクル(インド棗)の木とココ椰子の木に巻き付くように生えていた。あるいはモヘシュゴンジュで見た、インディゴ工房の廃屋。あるいはモエナのミシュティ(菓子)屋で食べたダール(豆)のボルフィ(菱形菓子)……。ロトン・バブの心の中に刻まれるそのようなものは、ほかの人びとの目には取り立てて変わったものと映るはずもなかったろうが。(76頁)
 
 そして旅先で、自分に瓜二つの男と出会う。外見だけでなく好みも習慣も職業も、さらに給与から生年月日までぴたりと同じだったのだ。友達はいても、これほどぴたりと気の合う人間にこれまで出会うことがなかったのに驚きを感じつつ、一緒に食事をし、市を散策するうち、奇妙な感情にとらわれる――。
蝙蝠(Badur Bibhishika)
 ベンガルテラコッタ寺院について調べている男。シウリの街にやってくるが、大嫌いな蝙蝠が部屋にいることに気付いて総毛立つ。しかも墓地のそばで怪しげな男に話しかけられ、吸血蝙蝠の話題を出されて悪夢にうなされるはめになる。使用人に尋ねると、それはしばらく前に退院して帰ってきた「頭がおかしい」男だという答え。その夜、部屋に入ってきた蝙蝠が自分の喉を目がけて突進してきたので、勇気を振り絞ってノートを叩きつける。翌朝、例の男が頭から血を流して気絶しているのを見かける。介抱している人たちによると、彼はよく頭を下にして木に「蝙蝠みたいに」ぶら下がっていたのだという。
見知らぬ人(Atithi)
 45年間というもの音信不通だった母の末の叔父が唐突に手紙を寄越し、しばらく滞在するという。果たして本物の叔父か、それとも偽物か。仮に本物だとしても、父は放浪の生き方に賛同も理解もできない。
しかし、こういう人間が生きていても、一体何の得があるっていうんだろうなあ。本当に分からんよ。実際のところ、家を出て行くのは何のためなのか、分かるかい。責任を逃れるためだよ。あの人たちは要するに、誰かに寄生して人生を送るのさ。一生、あの人この人というふうに、誰かの世話になって生きていくんだ(145頁)

  息子はたちまちその「叔父」と仲良くなるが、両親は招かれざる客の滞在をやや負担に感じていた。ところが、彼が家を去ってから、本物の叔父で、四十年かけて自費で世界を回り、ベンガル語で自伝を出版していたことが判明する。その本が受賞したが、賞金1万ルピーは母に渡すよう言付けられていた。

お前たちのように、大海に出てみようともしない井の中の蛙がそんな話を信じるかな。彼が本物か偽物か、お前たちにはそれも判断できなかったわけだし、叔父さんと呼びもしなかったんだろう。それでもなお、そんな話を話して聞かせると思うかい、お前たちに(150頁)
幽霊(Braun Saheber Bari)
 113年前のバンガロールでブラウン・サヘブという男によって記された日記を手に入れた語り手。たまたたまバンガロールで働く旧友と再会したことで、現地に行って彼の屋敷を見ようと考える。その日記には、彼が深い愛情を抱いていたサイモンが幽霊となって訪問することが書かれていたのだった。幸い屋敷は現存し、長く空き家になっていることが分かり、友人たちと訪ねて中に入り込む。何度か訪問者があるが、いずれも幽霊ではなく、生身の人間だ。最後に光る目を見てぎょっとするが、黒猫だと判明する。
 イギリス人が深く愛した「サイモン」がいったい誰なのかは最後に明かされる。植民地時代の記憶を現代のインド人が求めるユニークなゴーストストーリーで、これは怪奇小説のアンソロジーピースとしてよさそうだ。
シブとラッコシ〈人喰い鬼〉の話(Shibu ar Raksasher Katha)
 周囲からは勉強しすぎでおかしくなったと思われているフォティックという男。少年シブに、新しく来た数学の先生の歯を観察するように言う。言われてみれば確かに先生の大きな犬歯、曲がった背中はおとぎ話に出てくる人喰い鬼ラッコシの特徴に合致する。シブ少年はさらに先生の目を観察し、ラッコシと同じく白目の部分が真っ赤だと気付いて震え上がる。しかも先生はシブに特別目をかけている。さあどうすればよいのか……
 
ビリンド種のラッコシは、五十四歳になると完全に人間になってしまう例がたくさん確認されているんだよ。ジョナルドン先生の年は今、五十三歳と十一か月に二十六日だ(210頁)
 まさに人を食った話だ。
盗癖(Barin Bhoumiker Byaram)
 カルカッタ発デリー行きの列車。公演に向かう歌手は、同席した男にどこか見覚えがあることに気付く。そう、九年前、やはり同じ列車に乗り合わせたのだった。絶対に気付かれてはならないと彼は緊張する。なぜなら――。
 
ある日、オニメシュ・ダがバスに乗っていた時のこと、一人の男がオニメシュ・ダのポケットに手を突っ込んで来た。スリだと分かりながら恥ずかしくて何も言えなかったという。財布と一緒に手の切れるような十ルピーの新札四枚を、彼はスリに、言うなれば、気前よくくれてやったというわけだ。
「大勢の人が乗っている満員のバスの中で騒ぎ立てて、注目を浴びる役をするなんて、そんなことはまっぴらご免だよ」と、彼は帰宅して家人に言ったという。(222-223頁)
 
『サタジット・レイの世界』のドラマ化はかなり原作に忠実だったことが分かる。ただし、エピローグの部分はドラマ版のオリジナルだ。
コルヴス(Karbhas)
 鳥にどこまで学習が可能かを探る研究者の日記体小説。実験室に飛び込んできてマッチを擦ろうとした賢そうなカラスにコルヴスと名前をつけ、実験を開始する。コルヴスはたちまち英語の綴りを学習し、嘴に挟んだ鉛筆で文字を書けるようになる。そしてチリの国際学会にコルヴスを伴って出席し、発表は大成功する。しかし、コルヴスを欲しがった手品師アルゴスにより、ついに盗み出されてしまい――。
ユニコーンを探して(Ekshringa Abhijan)
 日記体のファンタジーチベットユニコーンの群れを目撃したという探検家チャールズ・ウィラード。その遺品から日記が発見され、一角獣と空飛ぶチベット仏僧の秘密を知るべく、インドとヨーロッパ各国の研究者たちが調査に赴く。スタート地点はカトゴダム、目的地はカイラス山だ。ちなみにヒンドゥー教徒にとってもマナサロワール湖は聖地とみなされている由。
 カンパの盗賊に襲われたあげく、なんとか撃退したものの、ロシア人隊員がコカイン中毒で幻覚症状を呈していることが判明。おまけに彼は脱獄囚で、どうやらチベットに潜伏しようとしているらしい。マナサロワール湖にたどり着いたものの、この世のものとは思えないほど美しい景色を見ただけで、ユニコーンも空飛ぶ僧侶も見つからない。さらにチャン・タン地域に踏査を進め、飛翔の秘密の一端を知り、ついに桃源郷ドゥン・ルン・ドゥへと足を踏み入れる。