張愛玲『小團圓』

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 張愛玲の自伝的長編『小団円』(北京:北京十月文芸出版社、2009年)再読。
 主人公・九莉の最初の恋人は胡蘭成がモデルとされる邵之雍だが、2009年の初読時は、どうしてこんな男と付き合ってしまったのかと不思議だった。既婚者(しかも最初の妻と法的に関係が切れていないのに次の妻を迎えて重婚状態になっている)というのは当時の基準では責めるに当たらないのかもしれないが、行く先々に精子をまき散らしているような男だ。それも、セックスそのものへの欲望が強いというより、とにかく女を「ものにしたい」ので、しかもそれを隠そうともしない。
 しかし、よく考えてみると九莉は幾人もの候補からわざわざ彼を選んだのではなくて、そもそも彼しかいなかったのだ。結局のところ、誰かと出会うというのはその相手とめぐり会うのではなくて、そうあるべき時期が訪れた時にたまたまそこに相手がいたことを「出会った」というのだろう。九莉は決して熱狂的に恋に落ちるのではなく、いつでも後に退けると思いながら、冷静に少しずつ深みにはまってゆく。
 その結果、日本の敗戦と同時に邵之雍は「漢奸」となり、身を隠さねばならなくなる。その前に手を切っていればともかく、「漢奸」の女として洗い落とせぬ汚名を背負うことになった九莉も、逃げ隠れる必要はないまでももう光の当たるところには出にくくなる。俳優出身の映画監督・燕山と出会い、初恋を埋め合わせるようなつもりになっても、そこにはいない邵之雍の腕がどこからともなく伸びてくる。しかも九莉は自分の経歴が燕山にとって汚点になると知っており、いくら初恋の気持ちでも無垢な自分に戻れるわけもなく、この関係はいずれ終わることもよくわかっている。
 前に読み飛ばしていて今回気づいたのは、邵之雍との性交の際に九莉がいつも痛がるという描写だ。最初の数回で痛みがあってうまくゆかないのだろうくらいに思っていたが、よく読むと邵之雍が“怎么今天不痛了?”(207頁)と言っていて、慣れないせいではなく常に痛がっているのに彼は平気で続けているのだとわかる。後に燕山との関係が終わりに近づいた頃、妊娠を疑って検査を受けた時に、“子宫颈折断过*1(278頁)と言われ、邵之雍との関係のせいだろうと考える。
 邵之雍に一体どれだけ傷つけられているのかと思うが、それでも最後に九莉は、ふたりの間の子供が何人も松林ではしゃぎ回る中、彼に手を引かれて小屋に入る夢を見て幸福に浸る。ここまでされてもまだこんな夢を見るのかと胸が痛むと同時に、誰もが彼女自身のこととして読むだろうと知りながら、ヒロインをここまで書いた張愛玲に痛みを通り越して恐ろしさを感じる。

*1:しかし子宮頸部が「折断」するというのはどういう状態なのだろう?