郝景芳『人之彼岸』

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郝景芳『人之彼岸』(北京:中信出版社、2017年)

人は此岸に、AIは彼岸にあり、彼岸を遥かに望むことで此岸を観照する。

――郝景芳「前言」

「折りたたみ北京」の郝景芳(ハオ・ジンファン)による、AIをテーマにした六篇のSF小説と二篇のエッセイを収める最新作(2019年2月現在)。

 来たるべきAI社会を見すえた思考実験が小説の中で展開され、それがどのような技術的予測に基づいた想像なのかがエッセイの中で種明かしされる。これまで幻想小説寄りの短篇を多く書いてきた郝景芳だが、本書ではかなり科学技術に関する記述を前面に出している。

 また、彼女は社会事業として教育プロジェクトを立ち上げてもいる。プロジェクトそのものについては作中に直接言及があるわけではないが、児童教育について何を重視しているのか、それはSF作家としての活動のどの部分と重なるものなのかをエッセイから窺い知ることができる。

 

【第一部 科幻故事】

どこにいるの(原題:你在哪裡)

 AIで自分の「分身」を作ることができたら? 一度に複数の会場でプレゼンができるし、さらに同時に妻との食事の約束も果たせる。そんなプログラムを開発した任毅だが、なぜか思ったようには運ばず……。
 登場するいくつものガジェットがユニークな一篇。着用者の感情を察知して色を変える服には、さらに「自動なだめ機能」が搭載されており、悲しくなると後ろからぎゅっと抱きしめられているような感触を与えられる。さらに生地をスクリーンにして「分身」を映し出せるのだが、ポジティブなことしか言わず決して怒らないAIによる夫の「分身」との会話に、妻は席を立って帰ってしまう。
 AIが果たしてどこまで人間の代わりを務められるかというと、仕事はどうにかなってもプライベートは任せられないという落ち。

永生病院(原題:永生醫院)

 クローン技術で複製された肉体に、記憶ごと大脳の組織を再生するプログラムを入れて走らせたら、それは元の人間と同一人物といえるのか?病室で昏睡状態にあったはずの母親が、なぜか帰宅して元気に家事をしている。息子はなんとかして事実を突き止めようとするが…。
 これはつい先がどうなるか気になって、電車を乗り越してしまった。人間とAIの境界を問うものだが、わりと早い段階で母の肉体がクローンであることは想像がつき、病院をどう告発するかが読みどころとなる。
 ちょうど一年ほど前に、ネットで話題になっていた文章「流感下的北京中年」 がある。北京の男性が、舅が風邪をこじらせてわずか29日で亡くなってしまった過程を日記体で詳述したもので、ただの風邪だとあなどってはならないという教訓以上に、中国で治療を受けることのハードルの高さが衝撃的だった。日本でも病院は待ち時間が長かったり、行くまでが大変だったりと、本当に具合の悪いときはかえって受診できないものだが、中国の場合はまた違うレベルの障害が幾重にも待ちうけている。とにかく中国社会では人間関係が大切で、道理で結婚のプレッシャーがこれほど強いのかというのが納得される。親類縁者と助け合うことなしには、場合によっては病院で診療を受けることもままならないのだ。配偶者の親戚という手づるも最大限に利用して立ち向かわなければならない局面が、日本より恐らく相当多いのだろう。
 こうした医療資源の問題を念頭にこの作品を読むとき、高額医療を提供するこの「永生医院」がどういう存在なのか、おぼろげに浮かび上がってくるようでもある。


愛の問題(原題:愛的問題)

 AIが殺人を犯すことはあるのだろうか? アンドロイドが人間に逆らう可能性についての思考実験的な作品。
 裁判官、容疑者となったアンドロイド、被害者の娘、その兄の四つの視点から事件の経過が回想される。幼くして母を失った兄妹のため、父は男性の姿のアンドロイド・陳達を導入して家事をとりしきらせていたが、すぐに彼になついた妹とは反対に、兄にとっては彼が家族の仲を隔てる存在のように感じられていた。
 アンドロイドは彼は夜な夜なネットワークに接続し、さらに高次のAIたちから与えられる学習規則をもとに自分のプログラムにデータを読み込ませる。このAI間の関係が読みどころの一つだ。


戦車の中の人(原題:戰車中的人)

 ターゲットの殲滅を命じられ、総合型ロボットの「イエティ」とともに小さな村に向かった主人公。途中で小型車に遭遇し、イエティに攻撃を命じたところ、相手車両の乗組員から「ロボットに同じ人間を殺させるのか」とのメッセージが届くが…。
 「戦車の中」(立原透耶訳)の題でSFマガジン4月号に掲載。

 

SFマガジン 2019年 04 月号

SFマガジン 2019年 04 月号

 

 

乾坤と亜力(原題:乾坤和亞力)

 世界中のあらゆる場所を管理するグローバルAIの乾坤。ある日、三才半の子供・亜力について学ぶよう指示される。しかし亜力の行動は乾坤には不可解なものばかり、理解できないデータが記録されてゆく。やがて乾坤は、「理解できない」ことは「理解が必要」であること、そしてプログラムに解けない問いかけに対して、自分で答えたいという衝動を覚えるまでになる。
 これも人間の子供とAIとの違いを浮かび上がらせる作品。郝景芳の母としての経験が生きているのだろう。


人ヶ島(原題:人之島)

 AIは人間より適切な判断を下せるのか?宇宙での任務を終え、120年の時を隔てて地球に帰還した船長たち。地球は自動コントロールシステム「ゼウス」の管轄下にあり、人類は生まれるとすぐに脳にチップを埋め込むことでシステムに接続するようになっていた。それによって施設への出入り、支払いなどが可能になるばかりでなく、集積されたデータをもとに「ゼウス」から最善の選択肢を示してもらうことも可能である。人々は「ゼウス」を全面的に信頼し、日常の些事から婚姻などの大事までをその判断に委ね、喜怒哀楽も失われている。帰還した乗組員たちは、チップの信号を完全に遮断する装置を作り、「ゼウス」の支配に抵抗するが…。
 電子決済をはじめAI技術の応用がめざましい中国において、物語の前半部分は特にリアルな想像であるともいえるだろう。物理学やプログラミングにわたる技術的な部分の詳細な記述も魅力的だ。


【第二部 非科幻思考】


スーパーAIはいつ実現されるか(原題:離超級人工智慧到來還有多遠)

  AlphaGoに代表される新世代AIは、与えられたデータに基づき、自分で新たな方法を探し出せる。AlphaGoを例に易しい表現でディープラーニング強化学習について解説される。
 同時に、同書所収の小説作品を技術面から補足するものとしても読める。特にその意味で興味深いのは「未来のAIはどうなるか?」という問いに対して、擬人化路線と非擬人化路線の双方から説明される箇所だ。
 擬人化路線については、人間の大脳と同じような処理をコンピューターにさせるには大量なエネルギーが必要で、アンドロイドはさらに上部のネットワークに接続される必要があり、個体としての意識を持てるかどうかは疑問であるとされる。非擬人化路線の場合、デジタル化された状態のまま発展することになるが、やはり巨大な全世界のデータに接続し、演算の結果を全世界のユーザーに対して出力するということになり、個として存在するわけではないので、自由や自主、欲望は持ちえない。目的のために人類に対抗するより、現実的なのは電力供給システムを完全にコントロールしようとすることだと指摘される。この二つの路線については、「愛の問題」「人ヶ島」の二篇において具体的に想像されている。


AI時代の学び方(原題:人工智慧時代應如何學習)

 主に子供の教育に関する論考。AI時代に必要な三つの力、「AIと共存する力」「人間と共存する力」「AIを超える力」のそれぞれが説明され、その力をいかに養うかが記される。
 郝景芳は作家としての顔のほかに、社会活動家として児童教育のプロジェクトも立ち上げており、その問題意識がこの一篇からもうかがえる。一部の豊かな資本のもとで育った子供だけがアクセスできるものとしての教育ではなく、都市戸籍を持たない出稼ぎ労働者の子や、教育資源の乏しい山村の子供たちに提供されるものである。その願いは、ひとりひとりが安定した愛着関係の中で自己を認識し、創造力を育むことで、AIによって代替され使い捨てにされることがないようにというものであろう。

 郝景芳の既刊・刊行予定作品
郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

 

 なお、『人之彼岸』も早川書房より翻訳刊行が予定されているとのこと。
(追記:立原透耶・浅田雅美訳により2021年1月に刊行↓)