ドナー・コールマン『トゥクダム 生と死の境界』(Tukdam: Between Worlds、2022)

 「トゥクダム」とは冥想中に臨床上の死を迎えながら、姿勢が崩れることもなく死後硬直も起こらず、生きているかのような状態で数日以上経過することをいう。チベット仏教では、冥想中に意識は深みに到達するが、その最深部に下りた微細な意識が肉体に残っている状態だと説明される。

 この「トゥクダム」の状態を西洋医学の見地から解明するため、2012年からダライ・ラマ十四世の許可の下に進行するプロジェクトのドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 撮影地はネパールとインド(主にダラムサラのようだ)。男性の例が多く取り上げられていたが、女性も一例取材されていた。荼毘に付すまで三日間遺体を安置するしきたりのため、だいたいトゥクダムだとされるのは三日後になるという。プロジェクトの中心が置かれた医院では随時情報を待っているものの、遺族の許可を得てデータを取りに行けるのは三日以上経過した後になる。心停止と脳波の停止は明らかで、皮膚の表面温度はデータ上では周囲と変わらないのに、手で触れてみると不思議なことにほの温かく感じられる。心臓に微細な意識が残っているため、心臓を中心としてぬくもりが感じられるのだとチベット医は説明するが、西洋医学で観測できるデータからは分からない。

 実験に協力した遺族もインタビューに応じている。父がトゥクダムに入ったという娘は、自身かなりの規模の病院に勤務している。母が病院に連れて行こうとしたところ、父は待ってくれといい、二回上厠したあとで「準備はできた、病院には連れて行くな」と言って冥想に入ったという。娘曰く、救命センターに運ばれる患者は、何とかして助けてくれとわめいたり、パニック状態で医師や看護師を罵ったりもするし、スタッフもどうにかして救おうと救命措置を施すが、父の場合はその措置が冥想を妨げる可能性があったので病院に運ばず正解だった、と。

 後に、父はこの女性の甥(姉の息子)として転生したとラマに告げられた。三歳になった甥は、父が生前親しくしていた尼僧に、「今もあそこに住んでるの」と尋ねて喜ばせたそうだ。父の晩年に学業のためあまり家にいられなかったという女性は、病院の勤めを辞し、家で母と甥の世話をすることで、父への孝養を尽くすことにしたという。

 腐敗の速度は、最後の食事の時間や、気温や湿度などの条件によって大きく変化するため、トゥクダムの状態はそうした外的な条件でもたらされるとも考えられる。しかし、高温多湿の南インドでもトゥクダムの例が観測されているため、外的条件のみでは説明がつかない。

 興味深いのは米国の法医学研究所で行われている人体の腐敗の研究だ。事件や事故で死亡した遺体の語りを聞き取るためには、人体がどのような条件下でどれだけの時間をかけて腐敗するか、データを集めて検証する必要がある。そのため、献体された遺体を様々な条件下に置いて、腐敗の様子を観察するというものらしい。ケージに入れた遺体を野ざらしのまま並べてある場所が映される。自然環境下での昆虫やバクテリアの繁殖や分解のような働きも併せて観察するということなのだろう。褐色に膨らんだ遺体を前に、「これは腐敗が進行して皮膚が変色し、ガスで膨張しています」と説明する研究員。映像では臭気は伝わらないのでまだ見ていられるが、従事する人々は日々が九相観の修行だろう。
 結局、トゥクダムの境地に関しては、データとしては意識の状態を説明するに足るものは得られていない。臨床的な死の直後に、遺体からサンプルを採ることができれば、何らかの手がかりが得られるかもしれないが、まさに冥想中である故人の遺体を傷つけることに許可を出す遺族がいるとも思えない。常人でも三日間は無意識の意識が肉体に残ると言われ、最後に明るい光が見えるのだそうだ。死者の電話箱の実用化が待たれる。