キム・ジウン『箪笥』(장화, 홍련、2003)

 韓国のホラー映画リストによく上がる作品『箪笥』をようやく観た。監督は『人狼』のキム・ジウン。導入は屋敷ものだが、だんだんと流産や生理のモチーフが挿入され、ボディホラーの趣を呈してくる。決定的な謎解きに至るまでのサスペンスが巧みで、人間関係を想像に委ねたまま終盤まで引っ張ってゆく語り口につい引き込まれる。ショック・シーンは予想しやすく、音楽と撮影で次に来ることを充分に期待させた上で、恐怖描写に節度があるのもよい。そして美術と照明が美しい。凝った内装に、赤と青のコントラストから次第にややくすんだ孔雀色が入り、真相が明かされるシーンで幽霊のまとう緑の服の意味が分かる仕掛けも凝っている。

 冒頭は精神病棟で「今日はどうだった?」と質問される少女の様子。自己紹介するよう求められても、家族写真を見せられても反応しない。「あの日、何があったのか話してくれ」との医師の言葉からシーンが変わる。

 野山の景色の果てに、大きな洋館に着く。木造でポーチ部分は木の柱だが、そこに接続する外壁の側面が煉瓦になっているのが特徴的な設計だ。歴史的建造物なのかもしれないが、こんな屋敷をよく見つけたものだ。内部はセットを組んでクレーンを置いた撮影ではないかと思う。

 先に車から降りた父に促され、赤いカーディガンの少女スミは、妹のスヨンとともに気の進まない様子で家に入る。赤い口紅の継母が意味深な笑顔で出迎え、姉妹に真綿に包んだ針のような嫌味を浴びせるが、父は先に階上に行ったらしくやりとりを目にしていない。

 父、後妻、スミ、スヨンの四人が登場するが、中心となるのはスミとスヨンの視点だ。後妻の弟夫婦を招待することになるが、階段の上からドレスアップした後妻が出迎えた途端、弟夫婦は奇妙な表情を浮かべる。姉妹のいない食卓で、後妻は一人ではしゃぎ、夫と弟夫婦の間には気まずい沈黙が流れる。パターン化した継子いじめの話と見せて、次第に四人の関係に不可解さが浮かび上がる仕掛け。

 後妻は父の同僚の看護師で、姉妹の母を世話するために住み込みで働いていたことが、母の遺品の写真から想像される。キム・ギヨン『下女』の系譜に連なる乗っ取り映画の枠に、さらに一ひねり加わっている。

 父は常に姉のスミに話しかけ、妹スヨンの存在には構わない。他方、後妻はスヨンを目の敵にして箪笥に閉じ込める虐待を加える。家族の関係には、継母と姉妹の確執には単純化されない違和感があるが、その正体は終盤まで隠される。ハリウッド版リメイク『ゲスト』を先に見ていたので予測はついたものの、四人のうち誰の存在が誰に見えていて、誰に見えていないのかはなかなか分からない。

 スミを悪夢で脅かす髪の長い女の幽霊は、寝ている彼女の上に乗りかかり、その股から血が伝い、さらにネグリジェの裾から手が出て来る。目が覚めた後、横で寝ているスヨンの経血でシーツが汚れていることに気付く。スミは後妻がいずれ父の子を妊娠するだろうことを嫌悪し、同時に自分も妹も同じ女の身体を備えていることを意識している。スミは後妻から父を取り戻したいと願っており、それが娘としての言動を超えて母に成り代わりたいと思っているようなふしがある。すると彼女を夢で苦しめる幽霊は、後妻の姿であると同時に自分の姿の投影でもあるのだろう。

 

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★ハリウッド版リメイク

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キム・ジヨン監督作

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イアーラ・リー 『K2 アルピニストの影たち』(K2 and the Invisible Footmen、2015)

 パキスタンと中国(新疆ウイグル自治区)国境にそびえる世界で二番目に高い山、K2。世界最高峰のエベレストよりも登頂は困難だとされる山で働くパキスタン人ポーターたちの姿を追う1時間弱のドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 1954年のイタリア隊による初登頂時に両足のつま先を凍傷で失ったパキスタン人ポーター、アミール・メディ(Amir Mehdi)に捧げられている。初登頂から60年記念の年、今度はパキスタン隊が2人のイタリア人のサポートを受けて登頂を成し遂げた。K2はイタリア人からパキスタンに返されたのだ。

 25㎏から場合によっては50㎏近い荷物を運んで歩いてゆくポーターたちの根気と精力は世界の登山家の認めるところだ。ただし肉体を酷使する仕事は、一般の寿命が60歳だとしたら、ポーターには30代や40代で死ぬ者も多いと地元では言われているそうだ。人生90年時代などと喧伝される日本の感覚だと、60歳というのはあまりに若く思われるが、カメラの映す男たちはまだ壮年の筈なのに、歯が揃っている者はほとんどいない。歯科治療に限らず、医療全般へのアクセスが困難な地域なのだろう。つまり、過酷な肉体労働に従事する彼らの健康は顧みられていない。

 パキスタンのポーターはほとんどがイスラーム教徒らしいが、夏の登山シーズンにポーターとして働くのは男だけで、女性は農業と、性別による分業体制が確立しているようだ。複数の女性と婚姻関係にある男も珍しくなく、妻が4人を超えているケースもあるという。その結果として子だくさんだが、全員を就学させることは家計が許さない。ポーターの収入は5月から8月の登山シーズンに限られる。避妊に関して宗教者は、女性のピルの服用は推奨するがコンドームの使用は禁ずるとか、あるいは避妊そのものを認めないという立場だそうで、インタビューされている男性たちは神から授かった子供を育てるのだと答えている。

 尖った石だらけの大地を歩くのに、ポーターたちは登山靴やトレッキングシューズではなく、かかとのない履き物ですたすた歩く男性すらいる。クンバカルナのシェルパたちが登山用のアウターを着ており、足元も最高レベルとは言わないまでも高山仕様の靴だったのに比べると、パキスタンのポーターたちは低高度ではまったくの普段着といっていいくらいだ。無理な重量の荷を押しつけ、驢馬のようにポーターを使う登山家もいるというが、ポーターの側も組合や統一的な組織があるわけではなく、それぞればらばらに働いているので、まとめ役は骨の折れる仕事らしい。さらに休みたくなったら勝手に休憩し、意のままに顎で使われはしないという姿勢を見せてもいるようだ。

 パキスタンでは熟練した高高度ポーターの数が少なく、多くは訓練も受けていない。中にはイタリアの登山家から技術指導を受け、高高度ポーターとして働いた後、自ら登山家となった者もいるという。しかし、パキスタンでは登山というものが欧米諸国のように評価されるわけではない。地元パキスタン人の老いた登山家は、五つの8千メートル級の山々に登頂しても、メダルが一つ授与されただけだったという。パキスタン政府は治安維持に手一杯で、登山家の偉業を称え、雄大な山岳地帯の風景を観光資源として打ち出すどころではないというところか。

 かつてはネパールからシェルパ人のベテランガイドが雇われていたが、パキスタン政府はネパール人のガイドを禁じるようになり、今ではシェルパも登山料を払って入山している。パキスタン遠征隊のテントの周りにも色とりどりの旗(ルンタ)が張りめぐらされていたが、ベースキャンプにはシェルパ人のガイドや登山家がいるのだろう。

 監督のIara Leeは韓国系ブラジル人である由。最後にブラジルの登山家が「登頂を目指すのは観光とは別で、パキスタンを体験することだ」と語るのは、「なぜブラジル人が?」という問いを折り込んでの編集かもしれない。

culturesofresistancefilms.com

 Cultures of Resistance Films のYouTubeチャンネルでも英語字幕版が全編公開されている。

youtu.be

エリザ・クバルスカ『K2 天空に触れる』(K2 - Touching the Sky、2015)

 『クンバカルナの壁』に続き、エリザ・クバルスカの山岳ドキュメンタリーを溯って観る。登山家として撮影当時18年のキャリアを持っていた彼女は、登山家であることをやめず、同時に母になることができるかと自分に問いかける。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 カラコルム山脈に位置し、パキスタンと中国(新疆ウイグル自治区)国境にそびえる世界で二番目に高い山、K2。「ブラック・サマー」と呼ばれる1986年の夏には事故が相次ぎ、13人の登山家が命を落とした。父や母をK2に奪われた遺児たちが集まり、クバルスカとともにその地、バルトロ氷河を訪れる。その記録と、亡くなった登山家たちの遺したフィルムや録音テープ、生還した登山家へのインタビューを織りまぜて構成されている。

 あちこちに人骨やミイラ化した遺体が転がる氷河。転がる靴は脱ぎ捨てられたものではなく、持ち主の肉体が風化した後、遺骨だけが中に残されている。K2に選ばれた者だけが生還することができる。大きな荷物を背負うポーターたちが列をなして登ってゆく。

 この旅に加わったのはリンジーとクリスの姉弟、ウカシュ、ハニヤの四人だ。家族がいながらすすんで自らの命を危険に晒し、結果的に死別の悲しみを味わわせることになった登山家たちに対し、子供たちの思いは複雑だ。

 ハニアの父タデウシュは登山家で作家でもあったが、登頂後に滑落死した。遺体は見つかっていない。その時、娘はまだ母のお腹の中にいた。彼女は登山はしないという。

 ウカシュは4歳の時に母をK2で亡くし、数年後には父も山岳事故で失っている。母の遺体は一年後、日本チームが発見して収容された。それでも自身登山家の道を選択し、母の形見の時計を身につけて山に入っている。妹と離ればなれになり、祖父母のもとで育った彼は、「登山家は子供を持つべきではないと思うか」とクバルスカに聞かれ、「そうは言えない、そうしたら僕はこの世にいない」と答える。彼の母は出産後に探検を始め、わずか数年間で集中的に活動していたという。

 リンジーとクリスの母、ジュリーは英国人女性初のK2登頂を成し遂げた後、下山中に滑落したが、かろうじて一命を取り留めた。しかしその後、嵐で身動きが取れなくなり、夜中に高山病と思われる症状で亡くなった。遺体は収容されていない。当時のニュースフィルムで、10代のリンジーは父と共に取材を受け、「登頂が母の望みだったのだから誇らしく思う」と気丈に答えている。しかし葬儀も行われない中、母の死を受け入れるには時間がかかった。

 ウカシュは登山家としての視点から、「どのチームも時間をかけすぎている、少なくとも誰かが引き返すと声を上げるべきだった」と指摘する。しかし、実際に山の稜線を目にしたリンジーは、母がどこの地点にいたかを知り、「そこまで来ていて諦めるってことはない、何度も挑戦しているのだから、先に進むのが人間の本能だ」と気色ばむ。
周囲の人間を犠牲にして危険を冒す登山家の利己性を考え、四人と旅をし、彼らの対話をカメラに収めた後、クバルスカは「あなたには同じ思いをさせない。あなたの母になっていい?」とナレーションで語る。出産後の最初の登山と思われる姿で、沢に座りわが子を抱いて遠くに目をやる彼女の姿でフィルムは終わる。

 

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 『クンバカルナの壁』では登山をサポートするシェルパにもカメラが向けられていたが、このドキュメンタリーではパキスタン人ポーターと登山者の関係には深入りせず、彼らの仕事と休憩の様子が映される程度だ。焚き火を囲んで歌い踊る姿や、盤面を四色に塗り分けたボードゲームに興じる様子が挿入されている。山で命を落としたのは登山家だけではなく、パキスタン人ポーターも犠牲になっているはずだが、岩壁に取り付けられた死者の名が刻まれたプレートには、欧米人と思われる名前ばかりが映る。

エリザ・クバルスカ『クンバカルナの壁』(The Wall of Shadows、2022)

 『海の遊牧民 バジャウ族』でビーチリゾートを訪れる観光客と地元のバジャウ人の経済格差を描いたエリザ・クバルスカ(Eliza Kubarska)による山岳ドキュメンタリー。代理店を介して経済化される登山ツーリズムの現場が映される。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 ヒマラヤのシェルパ、ンガダはエベレストに9回、カンチェンジュンガに2回、チョー・オユーに2回など、多くの登山歴を誇るベテランの山岳ガイドだ。「誇る」といっても、地元のシェルパの人々にしてみれば、記録を打ち立てるためではなく生計のために登攀に同行しているにすぎない。ガイドの依頼がない時期は、ふもとでヤクを飼って暮らしているようだ。老若男女を問わず、山の仕事で現金収入を得ているそうで、妻は初めてベースキャンプ入りしたのは妊娠中、25㎏の荷を負わされたと語る。夫がガイドを引き受ければ、妻と息子も留守の間の家畜の世話を人に頼み、一緒に荷物を担いでベースキャンプに登り、登山者の食事の世話などを引き受ける。女性は背負いかごに布のベルトをつけ、額に引っかけて頭で支える担ぎ方だ。

 息子のダワも山岳ガイドにするより生計の道はないだろうと考えていた彼だが、妻に「医者になれば人を救えるけれど、ガイドになれば自分が山で死ぬかも」と説得される。妻は自分でも絨毯を織って足しにすると言うものの、今は絨毯の買い手も少なく販路を自分で開拓しなければならない。

 クンバカルナ山を聖山と崇めている彼だが、ダワの学費のため、カトマンズの代理店から仕事を受け、御神体である山に足を踏み入れることになる。妻も初めは強く反対するが、結局折れて、安全祈願の儀式を受けた上での登攀に同意する。

 報酬が1万5千ルピーという安さにはとにかく驚かされる。1ネパールルピーは2024年3月のレートで1.1円、米ドルにして0.0075ドル。112ドル程度の仕事だ。ネパールの一人あたりGDPが約1337ドルというから、その12分の1程度の計算か。

 ヘリコプターで村に到着したのは、 ロシアのセルゲイ・ニロフとドミトリー・ゴロフチェンコ、ポーランドのマルチン・トマシェフスキの三人の登山隊だ。歓迎のカターで出迎え、ベースキャンプに同行したところまではよかったが、悪天候で積雪もあり、雪崩も懸念されることからンガダたちシェルパは出発に難色を示す。だが登山家三人は日程の都合からできるだけ早くアタックしたい。ベースキャンプから先までガイドを要求するが、ンガダは苛立ちを隠さない。このあたりからだんだん不穏な調子を帯びてゆく。登山家三人の間でもしっくり行かない部分が見え隠れする。

 ここで止めたら報酬はゼロだと仲間のシェルパになだめられるものの、ンガダはやはり自身の安全を優先してそれ以上の同行を断る決心をする。

 ポーランド人のトマシェフスキには、ダワと同じ16歳の娘がいる。マヤという名前を聞いて、ダワは「ネパールでは〈マヤ〉は〈愛〉という意味だ」とほほ笑む。結局、トマシェフスキは自分の限界を見定めて、アタックには参加しないと他の二人に告げる。7千メートルの高度でクライミングできるほど高地順応の準備ができていないし、自分はほかの二人とは挑戦できる限界のレベルが違う、何より三人がチームとして一体になっていない……。

 クンバカルナの神は、謙虚に自らの限界を知る者は無事に帰してくれるという。山の言葉を知り山に話しかけた三人の男の伝説が挿入され、現実の登山の記録映像でありながら、同時にシェルパの人々の信仰に基づく認識にも沿う形で編集されている。山肌を伝う登山家の腰のカラビナ(?)が鳴る音まで入っており、サウンドは後で加工した部分もあるのだろうが、撮影・録音機材は相当のものを使っている様子。風の音や雪を踏む音に加え、チベット仏教の僧侶が儀式に用いる鈴やでんでん太鼓のような楽器、さらにヤクの首につけられた鈴の音の澄んだ響きに、この山はアタックする目標ではなく、神体と見る感覚が少し分かるような気がした。

 最後の10分間はロシアの二人がアタックに挑戦する映像だ。「登山の記録じゃないよな」「ああ、撮ってるのは人間だ」と撮影チームに言いながら、二人だけで出発する。落石や雪だまりの小規模な崩落と、見ているだけで心臓に悪い。吹雪の中のクライミングビバークの様子も記録されており、撮影にはドローンを使っているようだ。

 やがて、ベースキャンプでは「今登ってたら死んでたな」との声が漏れるほどの吹雪になる。最後は雪のちらつく中、二人の登山家を迎えに向かう一家の姿で終わる。結局この時の登頂は成功せず、いまだ東壁からは攻略されていないという。

 監督のクバルスカの姿は映らないが、二人の下山に際してルートを伝え、5000メートル地点まで迎えに行ってサポートした由。『登山月報』601号に第125回 Mountain World として掲載された池田常道「ジャヌー東壁 18日間のサバイバル」に詳しい。

www.jma-sangaku.or.jp

 

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ドナー・コールマン『トゥクダム 生と死の境界』(Tukdam: Between Worlds、2022)

 「トゥクダム」とは冥想中に臨床上の死を迎えながら、姿勢が崩れることもなく死後硬直も起こらず、生きているかのような状態で数日以上経過することをいう。チベット仏教では、冥想中に意識は深みに到達するが、その最深部に下りた微細な意識が肉体に残っている状態だと説明される。

 この「トゥクダム」の状態を西洋医学の見地から解明するため、2012年からダライ・ラマ十四世の許可の下に進行するプロジェクトのドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 撮影地はネパールとインド(主にダラムサラのようだ)。男性の例が多く取り上げられていたが、女性も一例取材されていた。荼毘に付すまで三日間遺体を安置するしきたりのため、だいたいトゥクダムだとされるのは三日後になるという。プロジェクトの中心が置かれた医院では随時情報を待っているものの、遺族の許可を得てデータを取りに行けるのは三日以上経過した後になる。心停止と脳波の停止は明らかで、皮膚の表面温度はデータ上では周囲と変わらないのに、手で触れてみると不思議なことにほの温かく感じられる。心臓に微細な意識が残っているため、心臓を中心としてぬくもりが感じられるのだとチベット医は説明するが、西洋医学で観測できるデータからは分からない。

 実験に協力した遺族もインタビューに応じている。父がトゥクダムに入ったという娘は、自身かなりの規模の病院に勤務している。母が病院に連れて行こうとしたところ、父は待ってくれといい、二回上厠したあとで「準備はできた、病院には連れて行くな」と言って冥想に入ったという。娘曰く、救命センターに運ばれる患者は、何とかして助けてくれとわめいたり、パニック状態で医師や看護師を罵ったりもするし、スタッフもどうにかして救おうと救命措置を施すが、父の場合はその措置が冥想を妨げる可能性があったので病院に運ばず正解だった、と。

 後に、父はこの女性の甥(姉の息子)として転生したとラマに告げられた。三歳になった甥は、父が生前親しくしていた尼僧に、「今もあそこに住んでるの」と尋ねて喜ばせたそうだ。父の晩年に学業のためあまり家にいられなかったという女性は、病院の勤めを辞し、家で母と甥の世話をすることで、父への孝養を尽くすことにしたという。

 腐敗の速度は、最後の食事の時間や、気温や湿度などの条件によって大きく変化するため、トゥクダムの状態はそうした外的な条件でもたらされるとも考えられる。しかし、高温多湿の南インドでもトゥクダムの例が観測されているため、外的条件のみでは説明がつかない。

 興味深いのは米国の法医学研究所で行われている人体の腐敗の研究だ。事件や事故で死亡した遺体の語りを聞き取るためには、人体がどのような条件下でどれだけの時間をかけて腐敗するか、データを集めて検証する必要がある。そのため、献体された遺体を様々な条件下に置いて、腐敗の様子を観察するというものらしい。ケージに入れた遺体を野ざらしのまま並べてある場所が映される。自然環境下での昆虫やバクテリアの繁殖や分解のような働きも併せて観察するということなのだろう。褐色に膨らんだ遺体を前に、「これは腐敗が進行して皮膚が変色し、ガスで膨張しています」と説明する研究員。映像では臭気は伝わらないのでまだ見ていられるが、従事する人々は日々が九相観の修行だろう。
 結局、トゥクダムの境地に関しては、データとしては意識の状態を説明するに足るものは得られていない。臨床的な死の直後に、遺体からサンプルを採ることができれば、何らかの手がかりが得られるかもしれないが、まさに冥想中である故人の遺体を傷つけることに許可を出す遺族がいるとも思えない。常人でも三日間は無意識の意識が肉体に残ると言われ、最後に明るい光が見えるのだそうだ。死者の電話箱の実用化が待たれる。

 

 

 

 

金華青『仄暗く赤い森』(絳紅森林、2021)

 『チベット・ガール』の男性監督・金華青によるドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 四川省カンゼ・チベット族自治州白玉県に位置するヤチェン(亜青)寺。尼僧たちは長い冬の間、雪原に一人一室ずつの簡素な僧坊を築き、中にこもって修行する。時々ヤクが窓から鼻を突っ込んだりも。サイコロ型のカプセルのような僧坊が、寺院の付近に大量に並ぶ様子は圧巻だ。体調不良者は寺院内で休むことが認められているというが、点滴をしながら修行する尼僧もいる。

 ヤチェンに関してオンラインですぐに読める論文は2007年の刊行で、当時からすでに尼僧が多く、8千人が修行に集まっていたことが分かる。

ndlsearch.ndl.go.jp

 幼いうちに出家する尼僧も多く、お堂ではあどけない少女たちが、皆の前でマイクを使って懸命に法話をし、緊張した面持ちで質問に答える。いかにも利発そうな少女たちもいれば、一日の最後に導師を訪ねてくる尼たちには、学び始めたのが遅かったができるだけ多く学びたいという年配者、修行がうまくゆかないと涙する若者、言葉にならずうつむいたままの者、あるいは発達特性かコミュニケーションに困難があるように思われる者と、様々な背景が窺われる。仏法を求めるだけではなく、困難を抱えた女性にとってのある種のセーフティネットとしての役割もヤチェンにはあるのかもしれない。

 そして、修行の末にこの地で生涯を終える尼僧もいる。二回にわたり鳥葬の様子が映される。鎚を手に遺体から離れる尼僧の姿が見えるのは、禿鷹についばみやすく骨を砕いているようだ。たちまち待ち構えていた禿鷹が群がり、遺体は隠れて見えなくなる。離れた場所で尼僧たちが経文を唱える中、死者は空に運ばれてゆく。棺も副葬品も何もなく、裸で横たえられ、何一つ俗世に残すことない去り方は理想的ではないだろうか。そのような来し方あって初めて可能となる最期ではあるが。

 冬に撮影されたシーンが多いが、緑の草が匂うような夏の映像も、厚い僧衣に身を包んだ姿に高原の気候の厳しさを窺わせる。冬は粉雪のちらつく中、屋外で講話を聞く様子も映る。毛皮の裏地の衣に、さらにビニール袋の中に座るようにして下半身を包み、すのこ越しに地面から伝わる冷気を防いでいるらしい。降水量が少ないので雪はさらさらと積もり、そう深くはならないようだ。

 その後、ヤチェンでは政府により立ち退きが求められ、尼僧の大半が2019年夏までに去ったという。大集団での修行はおそらく感染症の襲来には耐えられなかっただろうし、医療資源も充分とは思えないので、2020年の疫禍を前に結果的には予防措置となったのかもしれない。しかし、命を賭しても残りたいと願いながらも、去るように導師に説かれ、涙ながらに別れを告げる尼僧の姿の前に、その結果論が意味を持つものであるかどうか。家族のもとに帰ったり他の修道院に入れた者はよいが、幼い頃からの修行生活で、導師が懸念したように在家の暮らしに適応できない人もいたのではないか。

 修道院を離れた若い尼僧が、岩山の高みに同じように僧坊を建て、ほら貝を鳴らすシーンで終わる。夏には祭礼で若い尼僧たちが五色の帯を締め、長い袖を翻してくるくると舞う姿も収められている。

林麗芳『ツンマ ツンマ ヒマラヤの尼僧たちと過ごした夏』(尊瑪、尊瑪: 我和她們在喜馬拉雅的夏天、2018)

 台湾の女性監督によるインドのスピティ(ヒマーチャル・プラデーシュ州)、ラダック、ダラムサラ修道院の取材。監督は50歳を前に思うところあってヒマラヤを旅したというが、自分の解釈を抑制した語りで、修道院の日常生活の細部に丹念に目を向けている。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 中国語のナレーションが入るので、いくつかの用語の漢訳が分かった。出家した女性は「安尼」となり(チベット仏教では比丘尼の授戒が行われていない)、「尊瑪(ツンマ)」と尊称される。手を打ち足を踏み鳴らすのが特徴的な問答は「辯經」。学位を修めたゲシェは「格西」、ゲシェマは「女格西」。

 冬になると道路が通れなくなるスピティの尼僧たちは、10月になるとダラムサラ経由でブッダガヤに移動し越冬する。同じスピティのキー僧院の祭礼の様子が映ったが、ディジャリドゥのような長い喇叭が用いられていた。この尼僧院では祭礼や舞楽の奉納は行われない様子。尼僧たちも善男善女とともに祭りに行くが、出家といっても中には修道院に預けられた幼児もおり、シャボン玉で遊ばせてもらったり、完全に縁日を楽しむ子供だ。寒冷な高地で気候が厳しく、近隣の農村の生活も楽ではないという。子供を出家させるのは家族の生計の負担を減らすためでもあるのだろう。

 スピティでは夏になると二つの修道院によって問答の訓練が共催される。年配の尼僧は、自分は法を学ぶことができなかったが、若い尼僧にはゲシェマを目指して勉強してほしいと語る。

 ラダックには尼僧協会があり、会長はチベット伝統医でもあり、町に二つの診療所を開いている。若い尼僧たちがかいがいしく助手を務めており、男性患者も診る様子が映される。生薬を用いた治療で、薬草は自分たちで栽培するのだという。僧侶による診療は、身体の健康を診るだけでなく、一種のセラピーも兼ねるようだ。女性の地位が低い社会では、尼僧が医師の資格を取ることでロールモデルにもなっているという。「私たちは車も運転できるし」という彼女に、他の尼僧が「医学と車の免許は別でしょ」と突っ込む。ラダックの女性は運転免許の取得率が男性よりかなり低いのだろう。

 ダラムサラ修道院はさすがに立派な構えで、物資の不足するスピティと比べると雲泥の差といってよい。ここでは最初のゲシェマの試験(2014年から16年まで3年間かけて行われる)に挑む尼僧が登場する。中国領から幼い頃に脱出し、一年かけてインドに来たという彼女は、エンドロールで無事に学位を得たことが示される。ちょうど『ゲシェマの誕生』と同時期の撮影らしい。

 

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