アンガ・ドゥウィマス・サソンコ 『ベン&ジョディ』(Filosofi Kopi 3 Ben & Jody、2022)

 アンガ・ドゥウィマス・サソンコ監督『珈琲哲學 恋と人生の味わい方』(2015)のシリーズ第三作。Netflix(日本語字幕)で鑑賞。

https://www.netflix.com/jp/title/81597206

 一作目でカフェを開店し、究極のコーヒーを求めて修行を重ねたベン(チコ・ジェリコ)とジョディ(リオ・デワント)は、移動式店舗で旅することになったと記憶していたが、二作目でどういう経緯をたどったのか、本作ではベンはコーヒー農家になっている。

 一作目にも出てきた、大企業による小規模農家の土地の買い上げ圧力はさらに激しいものとなっており、ベンたちは道路を封鎖して座り込みで抗議している。そこに企業に雇われた男たちが現れ、抗議者たちを棍棒で殴りつけて追い払う。その夜、ジョディは新しい店の開業祝いにベンを招くべく電話をするが、その直後にベンは見知らぬ男たちに拉致されてしまう。

 ベンと連絡がつかなくなり、ジョディは心配して探しに行くが、抗議団体のリーダーからもさしたる情報は得られない。警察でも親族でないと捜索願は出せないと言われ途方にくれるジョディ。そして彼もまたベンを拉致した男たちの標的となり、山奥に拉致されてしまう。

 抗議運動を封じ込める目的で、地元の先住民や抗議団体の関係者は人質に取られ、山中で違法伐採に従事させられていたのだった。ベンとジョディは再会し、脱出の策を練る。

 この違法伐採グループの頭目がヤヤン・ルヒアンという配役で、「これはアクション映画だったのか」と気付かされることになる。「俺がジャワ人だからってバカにするな」という台詞をメモ。IMDbによるとロケ地はボゴールらしく、小規模農家は主にスンダ人の経営という設定なのだろうか。やたらコーヒーにうるさいこの男に、完璧なコーヒーを淹れてやることで気に入られるベン。

 盗伐隊の監視役がバドミントンの決勝戦インドネシア対中国*1)に夢中になっている隙をつき、一緒に監禁されていたハミド老人に教えられた道を通って二人は脱出する。ジョディは負傷して息も絶え絶えだが、先住民の娘たちに発見され、村で治療を受けることになる。彼を助けた娘は、ハミド老人の娘であり、行方不明となった老人に代わり村の長を務めていた。

 結末を言ってしまうと、村人たちとともに盗伐隊の拠点を襲い、ヤヤン・ルヒアンたちと死闘の末にハミド老人たちを救出する。重傷を負ったベンも無事に病院に担ぎ込まれ、一命をとりとめる。

 アクション映画になるのはシリーズとしては予想外の展開だったが、話の筋は最初からほとんど見えている。ベンとジョディのブロマンス的関係に魅了されるファンが多いのだろうということは分かった。しかし結局、雇われヤクザたちが叩きのめされても、おそらく土地を買い上げてアブラヤシのプランテーションを作ろうとしているのだろう大企業の問題はまったく解決しない。企業と農民という単純な二項対立ではなく、村落の中にも企業に譲歩し協力しようとする者もいる。映画としてはこうしたコウモリ的態度は悪役として描かれるが、現実にはそうとも言い切れないだろう。

 男ばかりではむさ苦しいという判断か、アクションシーンでは先住民(集団の名称は特に語られない)の若い姉妹が弓と体術で活躍する。村長ハミドは年長の男性だが、伝統医療を施す医師(おそらく呪術医でもあるのだろう)は女性で、村の中での発言権が強いのは村長の娘たちだ。表面だけ見るとジェンダー平等を意識した作りになっているが、弓矢を手にした剽悍な先住民女性というのは別のステレオタイプだろう。村の子供たちに注目してみても、物語における性役割は特段新しいものでもない。盗伐隊の拠点に向かう際、パチンコの得意な男児が、村に残れと言われたにもかかわらず、こっそり後についてくる。敵に見つかりそうになったところ、誰にも気付かれずにいた彼の奇襲が奏功して一同は難を逃れる。言いつけに背きながらも戦闘における力を見せつけて、結局大人たちに認められ仲間入りする子供は女児ではありえないのかもしれない。姉妹は村長の娘という立場ゆえに物語における力を与えられており、村のほかの少女たちはそこに加わる余地はない。

 しかし、ベンとジョディの関係がこのフィルムの肝であるのだから、ほかの登場人物がみなその一点に奉仕する(ヤヤン・ルヒアンすら例外ではない)構造となるのは当然なのだろう。余計なことを考えずに、アクションによって引き立てられた二人の篤い友情の身ぶりを味わうのが、この映画を楽しむ秘訣のようだ。

 

 

*1:エドウィン監督の映画を思い出してしまったが、もしかしてこのインドネシア選手も華人だったりするのだろうか。