インドネシア・ベルギー合作のドキュメンタリー。アジアン・ドキュメンタリーの配信で鑑賞。
監督 Jimmy Hendrickx はベルギー出身で、2012年からインドネシアに暮らしているらしい。ほかに『A Hong Kong Opera』(2014)などがある。
スハルト時代以来、タトゥーは犯罪者の入れるものとみなされているインドネシアで、パンク少年たちは偏見の目を向けられるばかりか、就職先も限られる。
他方、先住民であるダヤク人は刺青の伝統を持っており、森と共生してきたが、環境汚染や土地収用をはじめ、社会環境の変化から、これまでの生活様式を続ける人々は減っている。
タトゥーを媒介に、パンクスたちがダヤクの人々の暮らす土地を訪ねるコスプレ劇映画のような筋も持ちつつ、さりげなく生い立ちを語る言葉や家族との関係も描いている。
謝辞に見える地名は Sunda Kelapa、Tanah Abang、Cilliwung river で、都市のシーンはジャカルタ近郊らしい。先住民の生活は、西カリマンタンのKapuas Hulu(イバン人)、Sunay Uti(マアヤン人)、Mendalam (カヤン人)でダヤク諸族を撮影したのに加え、スマトラ島西方のSiberut島でムンタワイ人に取材しているようだ。映像の中ではそれぞれの土地に暮らす人々について紹介はなく、伝統的な服飾に身を包んだ女性や猟師、さらに老人の姿が映り、ごく短いインタビューが挟まれるのみだ。
パンクスの中には、養子だったことを知らずに育ったが、育ての親が病床にいる時に突然生みの親が金をせびりに現れたとか、幼い頃に両親が離婚して母に育てられたが、父は12人の妻を持っていたとか、かなり重いものを背負わされている少年も。それなりの裕福な家で育ったらしい少年も、両親に勘当され、ケーキを持って訪ねて行っても、門の鍵が取り換えられていて締め出しを食う始末。ネットで知り合った妊娠中の少女を気の毒に思い、結婚したが長続きしなかったとか、それぞれに事情がある。プサントレン(寄宿制のイスラーム学校)に入れられてから反抗してストリートに出るようになったという少年は、教師に相談に行き、タトゥーを入れても心は汚さないようにと励まされたりしている。
彼らの曲では政治家の汚職や不正を取り上げる社会的な歌詞が取り上げられていたが、ドキュメンタリーは反体制的な社会運動としてパンクに注目するより、彼らの私的生活に焦点を当てている。それでも体制側の取り締まりの対象となり、検挙されて並んでしゃがまされ、丸刈りにされてピアスや楽器もすべて没収されて釈放されるといった辱めを受けるのがインドネシアのパンクロッカーの宿命である。
結局、養母を亡くした少年が墓参りに行く場面がある。ぎっしり並んだ土葬の墓の間にプルメリアが植え込まれ、ほとんど葉をかき分けるようにして探す様子が映される。イスラーム教徒が多数の国であるインドネシアという側面は強調されないが、こうした墓の様子や、観客が床を転げ回っているようなライブハウスで、黒いヘジャブ姿の少女が聴衆の中にいるところは捉えられている。