クレベール・メンドンサ・フィリオ『バクラウ 地図から消された村』(Bacurau、2019)

 80年代風のざらついた映像に、棺桶が業者のトラックから落ちて道端に転がっていたり、突然UFO型のドローンが映り込んだりと、すべての時代が同時に存在するような不思議な幕開け。

 取水権をめぐって上流の町と対立しており、武装勢力が辺りに潜伏しているという剣呑な噂のあるバクラウの村だが、村人が営んでいるのはごく平和な生活。

 村の長老カルメリータが亡くなり、孫娘が帰省するが、それとほぼ同時に村は衛星地図から消失、さらには携帯電話の電波も切られ、近隣の農場では一家惨殺事件が起こる。水を独占している政治家は、町から票集めにやって来るものの、ついでに村の娘の性を買う始末で、しかも暴力的行為でセックスワーカーにも嫌がられている。

 最初はいったい何の話だか、どこまでが本気でどこまでがギャグなのか理解できずに困惑する。ラテンアメリカ文学が流行し始めた当時の海外の読者もこんな感覚だったかもしれない。ブラジルの専門家による解説がほしいと思い始めたあたりで急展開を見せ、後半は首狩り族の村に迷い込んだ観光客の一行が囚われるというホラー映画の常套を裏返した作りになる。道に散らばる棺も、村に着いた孫娘が、出迎えた村人に突然含まされる錠剤も、最後にはうまく結びついて終わる仕掛けも鮮やかだ。

 ソニア・ブラガ演じる赤毛の医師のキャラクターの強烈さは記しておく。親友だったはずのカルメリータの葬儀で罵声を浴びせて騒ぎを起こしたり(恐らく例の錠剤の副作用)、「片頭痛と吐き気がひどくて」と受診に訪れた女性に「二日酔いね、帰ってたくさん水を飲むように」と表情一つ変えずに託宣を下したり、最後には男たちと一緒にせっせとシャベルで生き埋めの土をかぶせる。この監督とソニア・ブラガが組んだフィルムは、以前に『アクエリアス』(Aquarius、2016)を観ていたことに気付く。そちらは色香の残る役だが、貫禄で敵を圧倒するキャラクターは一貫している。

 村はずれの一軒家に暮らす老夫婦が全裸で登場するのは、何かの伏線かと思っていると、まったくそんなことはなく単に裸でいただけという落ち。「裸の未開人」というモンド映画的イメージを反転させるように、銃のスコープから狙う者も、気付けば逆に狙われる者となっている。先住民からの報復のヴィジョンも、入植の歴史の反復であると同時に、モンド映画の未開人イメージの反復でもあり、それをさらにアメリカ人のリーダーに幻視させることで、見る側と見られる側の関係を繰り返し反転させている。

 村の老人たちは肌の色が様々だが、その辺を走り回って遊んでいる子供たちはあまり差のない褐色だ。劇中でも海外の観客向けにか、アメリカ人に対する説明を借りて、「北部の州には黒人が多いが、自分たちは君たちと同じイタリアやドイツ移民の多い南部の出身だ」という台詞がある。しかしその台詞の直後、アメリカ人にとっては、北部だろうが南部だろうが、先住民であろうが何色の肌であろうが、ブラジル人は「自分たち」にはなり得ない存在であることが見せつけられる。

 処方箋不要で流通し、深刻な依存を引き起こす向精神薬が村に大量にばらまかれるのは、現実の背景があるのだろうか。結果的に、ばらまいた本人には思いもよらない効果を村にもたらすことになる。

 殺人ツアーのつもりで村にやって来る襲撃者たちの倫理観もまた面白い。女は殺さないだの、小さい子供を殺すのは胸が痛むだの、ドイツ出身者が「このナチスめ」と言われて激怒するだの、どの口が言うのかと突っ込みどころに事欠かない。

 中国関連では、性的サービスを行う移動店舗に掛けられたスクリーンバナーが目を引く。「快樂的房子」と中国語で記され、露出度の高い中国美女が艶然とほほ笑んでいるのは明らかに中国製だが、どういう流通経路でブラジルの僻地の村にたどり着くのだろう。