謝裕民『m40』

謝裕民『m40』(シンガポール:新加坡青年书局,2009年)

 シンガポールの中国語作家、謝裕民(1959生)の中篇小説。主人公「おまえ」は四十歳になったばかりで、子供が二人おり、妻ともほどよくセックスしていて、仕事もまあなんとかなっており、身体には多少具合のよくないところも出てきて薬を飲み始めた、ごく普通の中年男だ。
 しかし、四十歳の誕生日が過ぎてから、急にむかしの家のそばに立っていた巨木と、下水道に通じる水路を夢に見るようになる。
 ちょうど子供の学校の休みに入り、妻子はクアラルンプールの親戚の家に遊びに行って留守なのを機に、「おまえ」も仕事を休んで何かしようとするが、これといってしたいことも見つからない。「おまえ」がひとりずつ家族を訪ね、上司や友人と食事をし、とりとめのない会話を交わす場面と交互に、思い出の水路の探検の場面が出てくる。
 「おまえ」は八人兄妹の六番目で、すぐ上の兄はもともと「阿聡」と呼ばれていたのが、いつのまにか「阿呆」になったと語られる。後天的な障害なのだが、それが何に起因するのかは「おまえ」の記憶の中で隠蔽され、物語の終盤まで明かされない。
 水路で出会った少年は、ほかにもここに出入りしている人々を挙げ、たくさんの神像を水路に集めている老人が長いこと姿を見せないので、様子を見に行くという。「おまえ」もついていったところ、まさに葬式の最中で、死んだのはほかでもなく兄を「阿呆」にした張本人だった。「おまえ」は兄の変化について当時は特に気に留めておらず、長い時間が過ぎてようやく殴られたことが原因だったと悟る。
 また一方で、少年の口からは、旧日本軍の兵士を見かけたことが語られる。彼はどうも主人公が、そしてシンガポールが、ひとまず脇に置いて進み続けてきた過去をどこからか引っぱり出してくる役割を担っているようだ。最後に主人公は軍服の日本兵の姿を目にし、その足跡を追ってゆくうちに、思わず知らず夢に見たかつての家にたどり着く。
 執筆の時期は、作品末尾に記されたところによると、2001年7月から2009年1月にまたがっている。タイトルの『m40』は「男、四十歳」を意味するというが、2005年8月にマレーシアからの分離独立40周年を迎えたシンガポールとも重ねて読むことができるかもしれない。名前のない「おまえ」の中年の危機は、同時にシンガポールが故意に忘れてきたものを示唆しているようでもある。