台湾現代小説選Ⅲ『三本足の馬』

 

三本足の馬 (研文選書―台湾現代小説選 (23))

三本足の馬 (研文選書―台湾現代小説選 (23))

 

  鄭清文・李喬・陳映真の三人の小説を一篇ずつ収め、若林正丈による解説「語られはじめた現代史の沃野」が附される。

  • 鄭清文「三本足の馬」(三腳馬/中村ふじゑ訳、1979年)

 馬の工芸品をコレクションしている「わたし」は、かつての同級生の紹介で、三本足の馬を彫る男の工房を訪ねる。意外なことに男は「わたし」と同じ町の出身で、日本統治下で「白鼻のタヌキ」(ハクビシン)とあだ名された警官の曾吉祥であった。
 鼻の部分だけうまれつき皮膚が白いことから馬鹿にされていた彼は、自分を知る者のいない台北に行くが、やはり侮辱されることには変わりない。花札をしていた男たちに「白鼻」と呼ばれたので腹に据えかね、派出所に賭博のかどで密告したのを機に、曾吉祥は派出所に出入りするようになる。最初は小使いだったのが、試験を受けて巡査となり、次第に日本人の手先として、自分を見下した者たちに権力をふるう快感を覚えてゆく。既存の社会で下の階層に位置づけられてしまった男にとって、日本統治はその秩序を転覆させ自らの尊厳を取り戻す格好の機会であった。数年前に「希望は、戦争」という挑発的な文章が現れ、衝撃を持って受け止められたが、曾吉祥の立場に寄り添いつつこの作品を読んでいる時、心の奥底に潜む同様の呪詛に気づいて慄然とするのは私ひとりでもないだろう。
 日本の敗戦後、四つ足の犬と呼ばれた日本人の手先として働いた「三本足」の台湾人も、民衆の憎悪の対象となる。曾吉祥は暴徒化した民衆に襲われるのを恐れて姿を隠し、妻が身代わりとなって一身に彼らの怒りを引き受けることになった。
 「同胞を裏切ったわたしは、死をもって罪をあがなうべきだったんだ」(44頁)と悔いる曾吉祥は、自分の姿を投影した三本足の馬を彫り続ける。ただし、その「同胞」が彼の尊厳を傷つけ続けていたことに対して、では他にどうやって誇りを守るすべがあったかについては、作品の外に問いは開かれている。

  • 李喬「小説」(小説/松永正義訳、1982年)

半年前、この地区の「農民組合支部」が成立してまもなく、李勝丁は、どんな理由をでっちあげたのか知らないが、支部長の劉阿漢を拷問室へ連れてゆき、彼とその他の三人の村人も、わけもわからずにそこへ連れてゆかれた。彼は生まれてはじめて、大の男がこんなふうに――どんなふうにといえばいいのだろう? 牛や馬だってこんなふうに殴れるものではない。山猿や小熊を捕まえたときだって、もっと簡単にすませるのだ。こんなにひどく虐めたりはできない――要するに、彼は目からうろこが落ちたのだ。そしてまた、この悪夢の後、彼にとって「人間」というものが、以前とまったく違うものになってしまったようだった。元来、人にはこのような残虐な一面があり、人は苦痛を受けているときにはこんなふうになるものであり、そして、人の肉体は、こんなにも脆くてどうしようもない「もの」なのだった。(63-64頁)

 日本統治下の「あの年」、そして戦後の「この年」を行き来しながら、同じ主人公の曾淵旺がどちらの時点でも追われ捕えられ拷問されるさまが語られる。奇怪なのは、どちらの時点でも彼を拷問するのは同じ警察官である点だ。
 体制が覆れば自分の尊厳を取り戻すことができるか、と期待しても、統治者が入れ替わったところでその本質が変わらなければ同じく屈辱を嘗めさせられ続け、取り入った人間は同様に哄笑を上げ続ける、ということが示される。

  • 陳映真「山道」(山路/岡崎郁子訳、1983年)

 白色テロの時代、処刑された兄の妻だという女性が訪ねてくる。彼女はそのまま三十年を兄嫁として暮らすが、兄の友人という人物の釈放の記事を目にしてから魂が抜けたようになってしまう。
 兄嫁が世を去ってはじめて、彼女が兄亡き後に家にやってきた真の理由が明らかになるのだが…。
 「わたしがお前たちの家に来たのは、苦労をするためだったのよ」という兄嫁は、主人公に心のうちを垣間見せるときには日本語で語る。「政治を回避」して大学を卒業し、会計事務所を開いて豊かな生活を手に入れた主人公も日本語を話せるが、大学で習い覚えたそれは兄嫁の「実に流麗な日本語」とは異なっている。「社会全体の触れてはならない傷とさえなってしまった」(156頁)兄の死をめぐって、兄嫁が最後に書き残したのが日本語の手紙であったというところに、台湾の現代史の二重のねじれが表れているようだ。