坂野徳隆『風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾』(平凡社新書、2012)。
1916〜34年にかけて官製新聞『台湾日日新報』の漫画記者を務めた国島水馬の風刺漫画から、時代背景を紹介する。国島水馬という人は日本から16年に博覧会を見物に台湾にやって来て、そのまま居着いてしまったそうだが、どこでいつ生まれて何をしていたのか、新聞社を退職して1940年に作品の移動展を開いてからどうしたのかも謎に包まれているらしい。
新書版なので掲載される漫画の大きさも制限され、中に描き込まれた文字は虫眼鏡でないと読めないほどなのが残念。国島が入社するまで、台湾の新聞には漫画が掲載されていなかったという。彼ひとりの作品に絞られているが、同じニュースに対してほかの漫画雑誌(『台湾パック』『高砂パック』といった誌名が上がっている)ではどんな風刺漫画が掲載されたのか、それは水馬の風刺よりぬるかったのかなど、ないものねだりで知りたくなる。また、掲載紙の読者層についても気になるところだ。30年代ともなれば日本語を解する台湾人読者も相当増えていただろうが、どう受け止めていたのだろう。
関東大震災の漫画では、骸骨の姿をした死神が斧で後ろから日本人の頭をかち割り、血しぶきが上がって眼球が飛び出す、というおどろおどろしい絵が見られる。また、洪水被害に寄せた作品では、溺れかけながらようやく岸に這い上がった被災者を「悪疫」「悪徳商人」の鬼が待ち構えるというのもある。こうした無惨な絵柄は、今の日本なら被災者に対する配慮から日刊紙には載せられないように思うが、当時の読者の反応はどうだったろうか。
2008年の四川大地震の時、大企業や有名人に「もっと寄付をしろ」とネットで圧力をかける“逼捐”という現象が話題になっていた記憶があるが、関東大震災の後で「高官の紹介状」という刀と「義援金募集」のピストルをつきつけられた台湾紳士が命乞いをしている漫画で久々にその言葉を思いだした。
また、本書の内容とは関係のないことだが、台湾各地の護岸工事などインフラ建設の立案・施行に携わった堀見末子という技師の名前が出てくる。この時代に女性技師が?と思ったが男性だそうだ。女児が続いて生まれるとトメだのステだの末子だのとつけることがあったようだが、男児にもそうした名づけ方があったのかしらん。