四元康祐『日本語の虜囚』

日本語の虜囚

日本語の虜囚

 


 ミュンヘン在住の詩人、四元康祐『日本語の虜囚』(思潮社、2012)。海外生活25年を迎えたという詩人は、日本語から自由になったつもりでいたのが、『言語ジャック』(2010)を書いた頃から「日本語に囚われてしまったらしい」と記す。

 詩の外側にあって詩を指し示す言葉と、詩の内側から溢れ出しそれを遡行することによって詩へと到りうる言葉。この二種類の言葉と「詩」との関係を、井筒俊彦氏の理論における分節Ⅰと分節Ⅱ、そして根源的絶対無分節という概念によって説明することが出来そうだ。分節Ⅰとはいわゆる表層言語または論理言語。ここでは山は山、川は川と、世界は事物の本質によって厳しく規定されている。次に根源的無分節とはそこからあらゆる意識が滑り出すその元の元、意識の最初にして最後の一点、心が全く動いていない未発の状態をいう。仏教における無の境地である。そして分節Ⅱは、一見分節Ⅰと同じに見えて実は根源的絶対無分節を潜り抜けてきた深層的な言説。平たく言えば「夢の言葉」だ。そこでは事物の本質結晶体が溶け出して、山は山であって山でなくひょっとしたら川かもしれない。具体的には禅の公案や「一輪の花はすべての花」「一粒の砂に世界を視る」といった詩句がこれに近い。

「日本語の虜囚 あとがきに代えて」(142頁)

 『言語ジャック』以降の詩は分節Ⅱに引き寄せられているが、深層言語は「国語」や「普遍語」(水村美苗日本語が亡びるとき』)ではなく「現地語」の領域にあり、「言語を手綱に絶対無分節というあの混沌たる全体性に到ろうとするならば、少なくとも現在の私にとって、その言語は絶対に日本語でなくてはならない」(太字は原文傍点)と強調される。
 深層言語というのは、シュルレアリスムの自動筆記で生まれるような言葉のことをいうのだろうか、などと考えてみて、吉増剛造の朗読を聴いたときのことを思い出した。昨年のパトリック・シャモワゾーとの対話を聴きに行った時、まるで異界から聞こえてくるような語りに背筋がぞくりとしたのだが、同時にこれはフランス語への通訳はいったいどうしているのだろうと気になった。意味をできるだけ限定して誤解の余地のないように書く論文などと違って、ことばが広く開かれ、解き放たれて、さらに次から次へと連なり溶け合ってゆくようだったから。詩人のことばだなあと感銘を受けると同時に、これは翻訳のしようがないだろうと思ったのだった。私が「異界からの声」「詩人のことば」と受け止めたものが、もしかすると根源的絶対無分節を潜り抜けてきた言葉なのだろうか。
 中を読んでゆくと、「新伊呂波歌」の「し」の作(86)頁に、

 「詩、書いてはるねん」 蔑まれ 米無く 飢え 痩せ細り 道に立つも 叫(おら)ぶ 「呪へ、比喩読むを飽きぬわ!」と
[鑑賞]貧乏詩人の悲哀。呪いの言葉は世界のあらゆる細部に、リルケやエリオットのいう「関係性」としての比喩を読んでしまう己自身に対して発されたものであろう。

 思わず田原『石の記憶』の一首、「北京胡同――併せて戴望舒に贈る」の一節を想起する。

雨の巷 胡同
一世代を隔てた年齢
そのころの中国はとても貧しかったのに
パリでの原稿料に頼るあなたの留学生活に
人は憧れる
現在の中国はとても豊かになったが
詩人たちにはまだヨーロッパへの旅費がない
過去の雨の巷をさまよい歩く
あなたは貧しい中国の富める者だった
豊かになった北京胡同で
詩人たちは相変わらず貧しくリンリンと響いている

 
 最終行は中国語の“窮得響叮噹”という言い回しに基づくか。
 貧乏詩人をうたった詩はいくらでもあるだろうが、たまたま四元康祐と田原をあわせて思い出して、二人の詩人に共通して谷川俊太郎についての著作があることを知る。

言語ジャック

言語ジャック

 
石の記憶

石の記憶