王盛弘編『九歌106年散文選』

王盛弘編『九歌106年散文選』(台北:九歌、2018年)

 台湾の「散文」という概念は、日本の随筆やエッセイとは必ずしも輪郭が一致しないように思う。台湾の場合、主な文学賞には必ず「散文」の部門が設けられているため、小説や詩歌とあえて区分することが必要になるせいもあるだろう。他にもこうした年度アンソロジーのように「散文」という箱に編者の手で詰め合わせられると、つい他のジャンルとの境界を探りたくなる。

 最初に収められた劉璩萌「醜女」は小説として発表されても違和感がないだろうし、騷夏「嘉德麗雅、等高線、病人遊戲」は彼女の詩集『橘書』に収められた散文詩である。もっとも、執筆の段階から散文として構成された作品のほかに、文芸誌の求めに応じて書いた文章が「散文」に区分されて受けとめられたただけというケースもありうる。

 もう一つこの散文集の特徴としては、執筆者のうち大学を母体とした文学賞の受賞を経験した作者が多いことが注目されよう。台湾では各地の大学で様々な文学賞が催されており、特に中文系の学生ではこうした賞に繰り返し応募し、それから学生対象ではない一般の文学賞へと駒を進め、受賞歴のもとで作品を出版するというパターンがある種の典型ではないかと思う。特に80年代以降の生まれの作家では、大学院で文学研究の傍ら自らも作品を執筆してきたケースが恐らくかなり多く、全体的に修士以上の学歴を有する作家の比率が高い印象を受ける。大学で行われる文学賞だけではなく、文芸誌についても文学研究科の院生が書評やインタビュー記事などの原稿を執筆していることが多い。大学と文壇の結びつきが日本以上に強く、ひいては研究と創作の垣根も低いのかもしれない。特に中国文学系の大学院生は、文芸誌の原稿の供給元としてあらかじめ組み込まれているのではと思われる。

 「散文」で面白いのは、自分でも日常的に経験するようなことを他人がどんなふうに切り取るかという発見のほか、経験し得ないような他人の人生の瞬間を垣間見ることだと思う。作家の学歴が均一化されても、それぞれの生育環境や人生経験は当然異なるのだが、どうしても題材に一定の限界が生じるのは仕方ない。その点、このアンソロジーはかなり工夫して、様々な世代や背景を持つ書き手の作品を集めている。基本的に選択の範囲は台湾で発表されたものとしているようで、大陸の路内や畢飛宇の作品も収録されている。路内の「毀容者(顔を損なわれた男)」は硫酸工場での事故で顔と喉に重い火傷を負った男と、工場実習に派遣された若者の遭遇を書いたもの。一方の畢飛宇は南京人気質についての軽妙なエッセイだが、どちらもあっと息を飲ませるところがある。台湾の作家でも1958年生まれの木匠は、そのペンネーム通り40年の経歴を持つ大工で、「末代木匠(最後の大工)」は内装業者の仕事に風水師のアドバイスを鵜呑みにした施主があれこれやり直しをさせる話。職人の視点からこういう冗談のような悪夢が書かれることはめったにないのでは。

 個人的に強い印象を受けたのは巻頭の劉璩萌「醜女」。「時々思う、美しい女と醜い女は二つの異なる性別で、全く別の人種だと(我有時覺得,漂亮女人跟醜女人是兩種不一樣的性別,截然不同的人種)」という出だしから、醜い女は「欲望を持つこともないし、欲望の対象になることもない。醜い女には性がない(既不擁有慾望,也不承載慾望。醜女是無性的)」といった強度の文章が続く冒頭の一段ですっかり引き込まれる。だから「彼女(她)」という女性化された一人称ではなく、「他」(ここでは「彼」というより「それ」かもしれない)が用いられる。全ての文学に自分たちの居場所はなく、傷ついた者のために張られる網から自分たちはみなこぼれ落ちるという認識の延長線上に、美しい女の立場で自分が強姦されることを繰り返し妄想する。美しい女だけがやめてと言える、と。しかし、実際にはどんな容貌の女でも「安全」ということはなく、図書館で痴漢に遭遇した語り手は、「美しいというのは犯す理屈をつけるため、醜いというのは犯すことを正当化するため。花瓶でも痰壺でも、結局そこに入れられるのはみな屈辱、みな暴力だ(說你漂亮是為了肏得合理,說你醜是為了肏得合法。花瓶也好,痰盂也好,最終盛裝的都是羞辱,都是暴力)」という認識に達する。
作者は1996年生まれ、現時点では学部在学中とのこと。「醜女」は清華大学月涵文學獎の散文部門最優秀賞を受賞しており、ウェブ上で読むことができる。
https://episode.cc/read/nthuyuehan.30/my.170906.084749

以下、全書の目次を引用しておく。

主編序 王盛弘「Something New, Something Fun, Something Different」

輯一:我和我追逐的垃圾車
劉璩萌 醜女
江鵝 厭世求生自白
路內 毀容者
謝子凡 我和我追逐的垃圾車
木匠 末代木匠

輯二:遠方的鼓聲
徐振輔 最後的草原
李桐豪 樂園
黃麗群 如果有一天你去金澤
凌性傑 寫字的人
李明璁 沙拉大媽的藍調
柯裕棻 低山行走
劉崇鳳 最初的日子
夏曼‧藍波安 今夜出海捕飛魚

輯三:辜負的晴天
亮軒 哪個是老師?
陳黎 蛙福元年
傅月庵 告別最喜歡的那家書店
顏擇雅 賽跑,在網中
吳妮民 記憶防空洞
祁立峰 運動男女
黃信恩 辜負的晴天
神神 水電修復工程

輯四:隻手之聲
盛浩偉 我的懷疑
黃翊 痛恨,倒數的感覺
陳栢青 雞雞的故事
唐捐 實驗人形奧斯卡
畢飛宇 我與我的南京
楊澤 瑪麗安,我的樹洞傳奇
姚秀山 隻手之聲
江逸蹤 今夜大雪紛飛

輯五:如同她們重返書桌
顏訥 戀愛保健術
楊隸亞 少男系女孩
言叔夏 在車上
騷夏 嘉德麗雅、等高線、病人遊戲
廖梅璇 父親與書,還有我
李欣倫 如同她們重返書桌
宇文正 如果一隻貓
袁瓊瓊 不再委屈自己
齊邦媛 一生中的一天

輯六:家的真相
廖玉蕙 阿公比較窮嗎?
平路 真相
張曼娟 住在工地的日子
郭強生 長照食堂
吳鈞堯 內
馮平 菸
蔣亞妮 寫妳
沈信宏 玫瑰之夜
游善鈞 男人的手肘

輯七:六十年來家國
鄭清文 我的時代
蔣勳 四十年來家國
黃英哲 重逢
陳芳明 旅行到遙遠仙台
阿盛 淡水暮色紅
向陽 連詩也無言以對的幻變

附錄 一〇六年年度散文紀事 杜秀卿