有吉佐和子『ぷえるとりこ日記』

ぷえるとりこ日記 (岩波文庫)

ぷえるとりこ日記 (岩波文庫)

 

 64年刊行。有吉佐和子は中国で一時期よく読まれていたそうだが(最近は翻訳される作家も多様化しているだろうが)、これまで全く興味を覚えたことはなかった。たまたまどこかで書評を眼にして、プエルトリコの話を書いているのなら読んでみようかと手に取ったら、意外にもめっぽう面白かった。同性を見る意地の悪い目がたまらない。
 アメリカのミルブリッジ女子大(サラ・ローレンス大がモデルらしい)の日本人留学生・崎子は、プエルトリコへの三週間の社会科学旅行に参加する。彼女の面倒を見てくれるのは学生委員長のジュリア、アイルランド系の娘だ。崎子とジュリアの日記によって構成される。
 サラ・ローレンス大に1959年から九か月ほど留学していた作者の実体験に負うところの大きい作品のようだ。表向きは人種差別がないことになっている(「ともかく全国に五つある女子大学の名門で、ユダヤも二グロも入学できるのはミルブリッジだけ」、12頁)大学でも、ジュリアは日記に参加者を人種別に記述し、黒人の二人について「彼女たちをプエルトリコ人がどういう表情で迎えるか、私には大変興味がある。何故ならばニューヨークにはプエルトリコ人たちが年々殖えて、二グロ以下の生活をし、二グロから白い眼をむけられ、全く惨めな暮らしをしているからである」(11頁)と綴る。参加者中唯一のアジア人である崎子にむけられる視線や、推して知るべし。
 研修旅行のはずが、アメリカ娘たちは男のことしか頭にないようなのが時代を感じさせる。取材に随行したカメラマンも、金髪碧眼の美人ばかりをモデルに写真を撮っている始末。ジュリアは旅行の最後にはこのカメラマンと関係を持ち、ちゃっかり新聞社入社のコネを作ってしまう。
 知性ある大学生のつもりでいるジュリアの日記は、作者の意地悪い視線を感じさせて抱腹絶倒だが、崎子の日記もなかなかだ。現地調査を通じて、崎子はプエルトリコの貧困の原因がアメリカによる植民地化にあることに気づいてゆく。その貧しさを高みから見物し、プエルトリコ人を馬鹿にしきっているジュリアたちに反発を覚える一方で、日本がプエルトリコのように貧しく不衛生なのだと思われることも我慢できない。一緒にするな、という感覚に関していえばジュリアも崎子も五十歩百歩だし、デートにあぶれて残った学生を「お茶をひいているお女郎さんのように見えたりする」(169頁)と感じる崎子も、自分にデートの申込をする男子学生が多いのを誇らしく感じる(一方で意中の相手に誘われないと「見る目がない」と腹を立てる)ジュリアと根本的には差がないように思われる。
 さらに、終盤ではホセ・アレグリアという現地学生が崎子に求婚する。彼はなんと、プエルトリコ独立の暁には大統領になるだろうという男で、代々スペイン貴族の家(弟の妻のみはアメリカ出身である)から嫁を迎えているクレオールの名家の出身だという少女マンガ的展開が待っている。彼はしきりに崎子の知性を褒めるが、彼女を通じて日本との関係を持ちたいと考えている上、一家の目的はプエルトリコのためだけではなく一族の繁栄にあるらしいことが見えてきた崎子は返答を避ける。アメリカ資本から脱して独立を達成しようとしている一族ではあるが、それならまずムラートの女性を妻にするべきでは、との反感が拭い去れないのだ。
 そんなわけで、せっかく空港まで花束を持って見送りに来てくれた男に、崎子は冷淡にふるまい、そそくさと機上の人になってしまう。その割には機内で大事に花束を抱えて涙を流しているのを見て、ジュリアは「黄色い人間の心の中に私は入って行けない」と結論づける。彼女にとってプエルトリコ旅行は、異文化理解どころか異なる文化を持った他人の異質性をいっそうくっきりと印象づける結果になってしまったわけだ。
 しかし五〇年代という時代を考えると、ジュリアのような女は記者としてその後どんな道をたどったのだろうと気になる。今は七〇代になっている計算だろうが、がちがちの保守なのだろうか。それとも、ウーマンリブ運動のあたりで何らかの転機を迎えているのだろうか。バブルの頃の日本にジュリアが取材旅行に来るという続編があれば読んでみたかった。