新川明『新南島風土記』

新南島風土記    岩波現代文庫―社会

新南島風土記 岩波現代文庫―社会

 

 与那国島は戦前は台湾との交流が深く、出稼ぎや学校の修学旅行の行き先であった他、台北経由で東京の文化が入って来ることも多かったという。1964年から65年にかけての『沖縄タイムス』の連載をまとめたこの本には、今にしてみると非常に興味深いこんなくだりがある。

 さて、再び台湾との問題だが、毎年町当局が頭を痛めていることの一つに台湾漁船の領海侵犯がある。五、六月のトビ魚の季節になると、時には二十数隻の台湾漁船が島影近く寄ってきて操業するといい、その対策に手を焼いていた。
 警備艇もないため、町役所の係り員が漁船をチャーター、警官を同乗させて現場へゆく。台湾船は素直に引き上げるが、こちらが返ると、またやって来て操業する始末だという。
 拿捕したこともあるが、民政府(アメリカ)から「上陸するなら捕えてもよいが、それ以外は警告にとどめておくように」という指示があったとかで、さいきんでは拱手傍観の状態である。
 「領海侵犯もさることながら、漁場を荒らされて座視するのみです」と係り員は口惜しがっているが、国府が対手では町当局の手に負えない問題であるだけに悩みは深いようだ。
 ところが、漁民の大部分は、このことについて意外に寛容であるばかりか、むしろ歓迎しているような口ぶり。
 きくと、沖合いで漁具を分けて貰ったり、こちらの漁獲物と先方のポンカン酒などと物々交換して利益があるためだという。さらに、さきに述べたように戦前、台湾との往来がひんぱんで親密感があるためともいう。のんびりした国境線の人たちである。(18-19頁)

 一方でこの後には、畳ほどもある大草鞋を海に流すという旧習が、台湾島から来襲して人々を殺傷、掠奪した「蛮族」を威嚇するためであったと伝えられることが紹介されている。

 外からやってくる“厄”を払うために、人びとが大草鞋にこめた願望(ねがい)の重さ。いま、国家のエゴイズムの谷間に見捨てられた島の現実のなかで、すでに姿を消して久しいそのかなしい習俗の重さが、ふたたびよみがえることはないのではあろうか。(19頁)