ダン・ブラガ・ウルベスタッド 『バラナシ 死のホテル』(BY THE RIVER、2020)

 サタジット・レイの児童向け小説『消えた象神(ガネーシャ)』(1976)の舞台がバラナシだったので、現在の街の様子をとらえたこのフィルムを観てみた。25分ほどの短編作品。アジアンドキュメンタリーズの配信で鑑賞。
 音楽を伴い、バラナシで死の準備をする人々の姿が劇的に描かれている。ヒンドゥー教の聖なる河、ガンジスのほとりのバラナシの街で息を引き取れば、輪廻から解脱できると信じられている。750万回の転生を繰り返して人間の身となり、解脱の機会が得られるのも人間の生のみだという。
 タイトルから、余命を悟った人々が死を待つのかと思ったが、「死のホテル」には健康なうちにやってきた長期滞在者(長い人では30年以上に及ぶ)もいる。もはや移住といってもよいかもしれないが、近親者の希望でバラナシに来て、彼らを看取った後、自分もこの町で死ぬことを望むという。最初に取材されるホテルは、こうした滞在者を受け入れている。何年滞在してもかまわないが、部屋にもう空きはなく、新規宿泊は500人待ちという。もう一つのホテルは15日間に制限され、宿泊料は無料、ただし15日が経過して快復に向かった場合は退室しなければならない。どちらも宗教的な慰めには満ちているが、医療的な緩和ケアが準備されているわけではない。
 死に備えて自ら訪れた人々に対して、他人の死を見送るために働く人々もいる。死者はガンジス河畔で荼毘に付されるが、火葬に携わるのは代々その職業を受け継いできたカーストの人々。30代の男性は、その仕事に従事することに理由はない、父も祖父もこうして働いていたのだという。ただし息子には教育を受けさせてほかの仕事に就いてほしいと願っている。火葬場といっても日本のような炉で見えないように焼かれるのではなく、露天に薪を積み重ね、布にくるんだ遺体を仰向けに寝かせ、火をつける。これはバラナシに限らず、インドの多くの地域でこのように死者を見送るようだ。焼き場で働く人々の子供たちは、幼い頃からその様子を目にしている。
 「何日も苦しんだ末に亡くなる富豪もいれば、慎ましく生きて安らかに息を引き取る人もいる」というホテルの管理人の言葉が重い。すべてはいかに生きたかによる、と理由を見出したい気持ちに傾くが、現実には非の打ち所のない人生を送っても苦痛の中で死を迎える人もいることを考える。因も果もないが、生き方次第では、苦痛を伴う死に臨んでなお安らかな心を保てるのだろうか。