亜細亜の骨『食用人間~トリコジカケの中華料理~』

 亜細亜の骨による、超空想科学奇譚『食用人間~トリコジカケの中華料理~』2020年8月2日の公演の映像を観賞。

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 『食用人間』8月2日(日)東京演出 on Vimeo

 台湾の林孟寰(リン・モンホワン)の戯曲「食用人間」(山﨑理恵子訳)のE-RUNによる演出で、台詞は大半が日本語だが若干中国語(台湾語ではなく華語)が混じる。

 舞台は「アイランド(島)」と呼ばれる閉鎖された土地にある家。台湾で「島」といえば、まず台湾それ自身を指すことが多いので、中国語で理解するならこれは台湾を描いた寓話だという心づもりで見ることになる。さらに、「アイランド」の外には「狼」がいて、「神=狼」に食べられるのが人間にとっての究極の幸福だという教説が布教されており、どうしても魯迅の筆になる人が人を食う世界を想起させずにはおかない。

 まもなく子供の誕生を迎えようという夫婦と、夫の兄、妻の弟の三人が同居する家。妻は生まれてくる子が腹の中で自分を齧ろうとしていると思い込み、この子が狼であれば自分を食べてもらえるのにと考える。夫は中華料理の研究家だが、カードに書いた食材を組み合わせて料理を再現するばかりで、現実の食材を手に台所に立つことはない。この家にはそもそも台所は存在せず、時間になると「チーン」と音がして壁の穴からゼリー状の食物が配給される。何となればこの「アイランド」には自然の食材は一切存在せず、配給のゼリー食に頼るしかないからだ。その中で、夫の兄は、狼に変じようとしている人間がいると主張し、夜な夜な外に出て狩りをしているらしい。妻の弟は学校に通うことをやめて家にこもっているものの、ほかの家族からは彼も狼なのではないかと疑われている。

 繰り返し語られる「一つ屋根の下」という台詞からは、様々な課題に直面して社会に走った亀裂を、その都度修復を試みつつ、どうしようもなく立場が異なる人々が共に暮らさざるを得ない台湾の隠喩として読み解くのは容易だ。喰う側と喰われる側、加害と被害の記憶も単純に二項対立として捉えることはできず、常にその境界は不分明なものとなり、浸食し合う。レジスタンスが起こす性暴力の正当化に抵抗の論理が持ち出されるように、狼と人間との間は線引きが許されない。

 「食べる」という中国語「吃」の含意から、さらに「食べる/食べられる」の関係はホモエロティックな形へと展開されてゆく。妻の弟が日夜形づくる塑像は、最初布が被せられた姿で舞台にあるが、やがてその姿が露わになり、禿頭の男であることが分かる。弟の夢に出て来る、街中にある像というのは、蒋介石銅像だろう。学校にかつては設置されていたこれら銅像が、夜な夜な徘徊するというのが、台湾の〈学校の怪談〉ではよく知られるものだそうだ。*1日本で上演される場合、そうしたコンテクストは説明されず、和尚の姿でこの家を訪れる「ソーシャルワーカー」と名乗る男の姿との相似のみが示されることになる。強権的なアイコンが欲望の対象となること、権力とそこに取り込まれてゆく運動の中には「愛」という語で語られる側面があること、それは後に、蒋介石に言及することなく弟と同級生のエピソードで敷衍される。

 

陸上怪獣警報

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 林孟寰はドラマ『通靈少女』の脚本でも知られ、「食用人間」はSF戯曲集『方舟三部曲(林孟寰劇本書)』(奇異果出版,2019)に収録されている。

indiepublisher.tw 2021年5月17日に台湾大学台文所で行われた講演では、陳千武の小説集『生きて帰る(猟女犯)』に基づくミュージカル『熱帯天使』の脚本を執筆中であると紹介した由。欧米からの移植だけでなく、台湾の歴史から「同志」の姿を拾い上げてゆくのが目下の任務であるとのこと。陳千武のテクストには、台湾籍日本兵の主人公が従軍したティモール島で、継続的に上官と同衾していたとの記述が見える。この連作短篇集には、ほかにも慰安所の開設に際して連行された地元の華人女性を、主人公が護送する場面もあり、日本軍の内部で日本語によって経験された出来事が戦後に中国語で書かれたものとして、なお日本側からも繰り返し読み直されるべきテクストであるだろう。*2

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*1:唐澄暐の小説にこの都市伝説に基づく『蔣公銅像的復仇』などがあり、日本語では電子書籍『陸上怪獣警報』(津村あおい訳)に短篇「蒋介石銅像、台湾を「奪還」」が翻訳されている。

*2:ただし、台湾で刊行されている版本は、前衛出版社の『陳千武集』に収録された一部作品も、晨星出版社の『活著回來』も、日本語の固有名詞を含め誤植が目立ち、改めて校訂したバージョンでの再刊が望まれる。