ヤンシィー・チュウ(圷香織訳)『夜の獣、夢の少年』

 ヤンシィー・チュウ(Yangsze Choo/朱洋熹)《The Night Tiger》(2019)。

 英領マラヤはイポーとその近郊を舞台にしたファンタジー小説。ホルマリン漬けの指と、マラヤに伝わる人虎(weretiger)の伝説をめぐって、物語はそれぞれ名前に智と仁という字を持つ少年と少女の視点から交互に織り成される。

 ジーリン(智蓮)は、長身で細身、ルイーズ・ブルックスの髪型とフラッパースタイルがよく似合う活発な少女だが、暴力的な継父に悩まされ、進学の夢も看護婦になりたいという望みも絶たれ、住み込みで裁縫店の見習いとなっていた。母がマージャンでこしらえた借金を返すため、誰にも知られぬようパートタイムでダンスホールに勤務している。

 ハウスボーイのレン(仁)は、死に瀕したイギリス人医師から、自分の死後49日以内に、切断された指を見つけ出して墓に埋めるようにと言いつけられる。一方、ジーリンは、ひょんなことから客の男がポケットに入れていたホルマリン漬けの指を手にしてしまう。レンの探している指こそ、ジーリンの手にあるものだということは早く分かるが、客の男がどこからそれを手に入れたのか、その指にどんな力があるのかは謎のまま、二人がいずれ出会うであろうことは予期されつつその時は引き伸ばされる。

 ジーリンは繰り返し駅の夢を見るが、やがてそこに男の子が現れるようになり、仁・義・禮・智・信の五常を名に持つ仲間について聞かされる。さらに加えて、ジーリンの血のつながらない「きょうだい」(母の再婚相手の連れ子で偶然にも生年月日が同じ)であるシン、主人を亡くしたレンが遺言に従って身を寄せた屋敷のアクトン医師と、彼らをめぐって何やら秘密を抱えた人間が登場する。指の秘密、五常の謎、アクトンの女好きといくつもの設定が絡み合い、一つ一つほどけて結末に至る。

 指の切断というのは去勢を連想させ、作中でも、結婚指輪をはめるべき指の欠損から結婚の遂行不可能性が言及されている。植民者であるイギリス人の性的不能というのは、英領ボルネオを舞台にした李永平の『大河盡頭』にも描かれるが、この物語でもイギリス人医師は指を失い、隙あらば現地女性に粉をかけるアクトン医師も、マラヤの地に子をなすことはない。

 冒頭で世を去るイギリス人医師は、さらに熱に浮かされて、夢の中で自分が虎として何をしたかを口走る。人虎という土着の伝説に、虎のいないヨーロッパからやって来た人間が取り憑かれることについてはどう考えればよいのだろうか。

人間が虎になる話をみていくと、どうにも矛盾だらけなんだ。その手の人間は、必ず聖なる者か、邪悪な者とされている。聖なる存在の場合には、聖獣(ケラマト)であり、守護神的な役割を持つ。邪悪な者であれば、罰として、虎に生まれ変わったというんだな。さらには“人虎(ハリマウ・ジャディアン)”の存在も重要だ。これはそもそも人間でさえなく、人間の皮をかぶった虎だといわれている。これだけ矛盾した話が入り乱れているということは、単なる民話なんだと思うね(136-137頁) 

 英領マラヤにおける植民者と人虎のイメージとしては、シンガポールのアーティスト、ホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen/何子彦)による2015年のインスタレーション『2匹または3匹のトラ』《2 or 3 Tigers*1シンガポールの建築家ジョージ・ドラムグール・コールマン(George Drumgoole Coleman, 1795-1844)が虎に襲撃された事件から、男が虎に姿を変え、虎がまた男に変じる様子が想起される。イギリスの支配下で大量に殺されたマレー虎のイメージは、「マラヤの虎」としてまた人間の姿を取る。 

 


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 本作の鑑賞者は、向かい合う2面のスクリーンを見ながら英語のナレーションを聴く。“Weretigers”(トラ人間)と“We're tigers” (我々はトラ)。2つの言葉のリフレインは、誰にでもトラ人間になる可能性があることを示す。「トラ人間をメタファーとしても使い、時に応じて様々なものを象徴します。例えば、辺境の住民、他国から訪れた侵略者……」。

(境界線上をさまようトラと 「トラ人間」が示す、近代化の光と闇。 ホー・ツーニェンに聞く|美術手帖

 『夜の獣、夢の少年』は英語で書かれた小説だが、主な登場人物は華人だ。チーリンの家族は三世代前からマラヤにいて、中国語を保持しつつもイギリス式の生活になじんでいる。彼らはイギリス人とは英語で、自分たちの間では中国語の方言(舞台はイポーとその近辺なので恐らく広東語)で話し、また相手によってはマレー語も使っている。ここでユニークなのは、イギリス人たちは中国語を解さないにもかかわらず、否応なしに漢字の世界に取り込まれてしまっているという点だろう。虎の伝説然り、漢字然り、華人の共同体の中に囲い込まれているのではなく、マラヤにやって来たイギリス人たちもいつしかそれを共有させられている。植民者―被植民者の二分法が成立しない、あるいは漢字という呪符が華人の専売特許ではなく、イギリス人もそれを自分のものとすることが可能な空間が作られているといえるのかもしれない。*2

 公式サイトの紹介によると、著者はマレーシア華人四世。マレーシア媒体のインタビュー(↓)では、父が外交官であったため、フィリピンで生まれタイとドイツで育ち、一時期は日本に暮らしたこともあったと語っている。訳者あとがきによると、11歳から数年間は東京で過ごしたのだそうだ。高校はシンガポール、それから渡米してハーバードを卒業、現在も米国に暮らしている。

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 今後翻訳予定という、冥婚を描いたデビュー作の《The Ghost Bride》(2013)は、『彼岸の花嫁』の題で2020年にはNetflixの連続ドラマにもなっている。マレーシア・台湾合作で台詞は華語、6回シリーズの前半を郭修篆、後半を何宇恆(ホー・ユーハン)が監督し、黄姵嘉、呉慷仁(ウー・カンレン)らが出演している。舞台は1890年代のマラッカで、豊かな商人の娘だが活発で一本気な少女が主人公だ。ペナン・ジョージタウンのブルー・マンション(張弼士故居)でのロケが話題になったが、中華系プラナカンの豪奢な暮らしが再現されている。*3

 主人公の少女・潘麗蘭は、幼なじみの林天白に思いを寄せているが、彼には婚約者がいた。一方、林家では息子の天青が毒殺され、下手人は見つからずにいる。それと同時に麗蘭の父が病に倒れ、昏睡状態に陥る。麗蘭は自分の前に姿を現した天青から、妻となることを承諾すれば父を助けてやると持ちかけられ、承諾して中有へと向かう。天府の番人である二郎の助けを得て、現世に戻るすべを探るのだが……という調子で、前半はホラーというよりコメディだ。

 タン・トゥアン・エン(Tan Twan Eng/陳團英) の長編小説《The Garden of Evening Mists》が台湾のトム・リン(林書宇)により『夕霧花園』として映画化(2019年)されたように、マレーシア華人による英語作品の、中国語圏での受容の一端が垣間見えるといえるかもしれない。

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*1:2017年に国立新美術館森美術館で開催された「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」に展示された。

*2:そして、それこそが最後に明かされる秘密に関連するのだが、中国語にすれば最初から種が割れてしまう。2020年12月には中国語訳『夜虎』(王心瑩訳、大塊文化)が刊行されているが、そのミステリーをどう処理したのか気になるところだ。

*3:プラナカンの屋敷で用いられていた言語は華語ではなかったはずだが、シンガポールの『リトル・ニョニャ』然り、プラナカンの生活を描いたドラマというのは華語で撮影されるのがお決まりとなったようだ。