ジョン・M・チュウ『クレイジー・リッチ!』(Crazy Rich Asians、2018)

 ゲーム理論の大学教授レイチェル(コンスタンス・ウー/呉恬敏)は、シンガポール人の恋人ニック(ヘンリー・ゴールディング)に連れられ、友人の結婚式に出席することに。中国出身の母に女手一つで育てられたアメリカ生まれの彼女は、シンガポール華人の風習になじみがなく、若干の不安を覚えつつ出発する。しかもニックは大富豪の一族の跡取り息子だと判明、その家族に気に入られるかどうかも不安だ。

 案の定、最初からニックの母エレノア(ミシェル・ヨー)は、アメリカ娘に敵対的な態度を見せる。富豪の友人たちも、nobody のレイチェルにわざと恥をかかせるように仕向ける上、ニックとの交際は財産狙いだろうと決めてかかり、有形無形の嫌がらせを……。

 映画ではシンガポールはあくまで背景で、シンガポール華人社会を描くというより、並の富豪ではない「クレイジー・リッチ」な資産家の常識外れの金の使い方を揶揄してみせる。(マレーシアのジョー・ロウならおあつらえむきだっただろう)

 主眼は、何もないところからたった一人で「白手起家」したアメリカの中国系移民が、見事に教養とガッツのある娘を育て上げ、実力で尊厳を勝ち得る歴史をロマンティックコメディの形式で銀幕に描いたところ。メリトクラシーの神話ならシンガポールも引けを取らないだろうが、こちらは一族の団結という華人社会の家族神話を煮詰めて拝金主義で希釈したように見える。

 レイチェルの大学時代の友人(Awkwafina)もシンガポール人で、こちらも相当な富豪の一家だが、トランプ的成金趣味で家を飾り付け、訪ねて来たレイチェルに色々と嫌味を言う。劇中にシングリッシュが用いられる場面は限られているのに、わざわざこの一家の戯画化された下劣なやりとりにシングリッシュが当てられるのには困惑を覚える。言語の階級性という敏感な問題が、ハリウッド映画の中で品性と結びつける形で提示されるのは粗雑の難を免れない。ただ、この一家も悪趣味ではあるが、友人は友達がいがあるし、傷心のレイチェルには気を遣って静かな居室を用意するようなところもあり、無神経だが実は気の良い人々としていちおう挽回されてはいる。

 不思議なのはニックの一家の原籍。母のエレノアは広東語で使用人に指示を出しているが、ゴッドマザーとしてなお屋敷の奥に君臨する父方の祖母は標準的な華語を話す。スピーク・マンダリン・キャンペーンの頃はもう成人していた世代だし、どういう背景なのか謎だ。子供を南洋大学に通わせるような華語派の華人の家系ではなさそうだが、かといって英語を話すわけでもない。*1 祖母の流儀で餃子を作るのも不思議で、蒸し餃子なので広東式点心として作っているようだが、あんなに餃子ばかり蒸すか? とも思う。

 ニックを演じたヘンリー・ゴールディングはサラワク出身のマレーシア系英国人だそうで、母方がイバン人とのこと。イバンの自己認識を持つ俳優に、華人を演じさせるのはかなり葛藤がありそうにも思う。アジア系のキャストで固めたというのがハリウッドのアジア系表象の中では意味を持つことなのだろうが、アジア系の中のマイノリティ表象としてはなお検討の余地があるだろう。シンガポールやマレーシアを舞台にしたハリウッド映画が今後制作されるなら、インド系やマレー系の俳優の存在も欠かせないだろうし、マレー半島のオラン・アスリ、ボルネオのカダザン・ドゥスン人やイバン人が観光映画ではなく登場するような企画も出て来ればよい。

 

*1:もっとも、Netflixのリアリティー番組『マインド・ユア・マナーズ』では、香港出身のエチケット講師が中国語の「優雅」な発音を指導するシーンがあったので、最近では上流階級のたしなみとして華語の「標準」的な発音も意識的に身につけるのかもしれないが。マインド・ユア・マナーズ: "私"をグレードアップ | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト