佐山剛勇『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在~』(2018)

 インドシナ終戦を迎えた後、ベトミンに協力して独立戦争に参加し、1954年に帰国した残留日本兵。その娘である添野江実子氏が、多くを語らず亡くなった父の足跡を探してベトナムを訪問するドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズで配信。

asiandocs.co.jp

 ベトナムで父と同じ部隊にいたという元残留日本兵に会うことができ、また祖父が日本人であったというベトナム人の一家とも面会して互いの共通点を見出すものの、ベトナムでの具体的な生活はほとんど分からないまま、日越の絆が強調されて終わる。

 井川一久氏のインタビューによると、日本人元志願兵は、ベトナムでの経験については一様に多くを語らないという。ほぼ半数が戦病死したと推測されるという過酷な戦場体験に加え、帰国後もシベリア抑留者と同様にコミュニストとみなされ白い目で見られたような事情もあったのかもしれない。推測を重ねると、現地の妻子の同行が許されず、結果的に捨てたような形で帰国することになったり、そもそも応召前に日本で妻帯していたケースであれば、口をつぐむしかなかっただろう。ただ、同氏による報告書『ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のあり方に関する研究』(2005)*1 では、家族と共に帰国した方にも90年代半ばの調査に対し回答を拒否した例が見られ、いいかげんな推測を許さない情況があったとも思われる。

 独立後も帰国せず、現地の家族との生活を選んだ人々については、特に触れられていない。帰国に際しては、赤十字が間に入り、残留日本兵の一人一人に帰国の意志を確認したという。このドキュメンタリーで取り上げられるのは54年に興安丸で舞鶴より単身帰国した第一次帰国者の経験だ。その後、家族同伴での帰国の機会は第二次、三次とあったというが、当時は先のことまでは予測しかねただろう。