牧村朝子『百合のリアル』

百合のリアル (星海社新書)

百合のリアル (星海社新書)

 

自分だけがおかしいのだ、と思っていたわたしは、同じように感じていた人が実は周りにたくさんいた、と知って驚きました。それぞれが「言えないけど話したいこと」を、それぞれの痛みを隠していました。「普通で正常」に違いないと決めつけていた人たちも、「自分は普通でも正常でもないかもしれない」という想いをどこかで抱えていました。わたしの思い描いていた「普通で正常な人間」なんて、どこにもいなかったのです。(73-74頁)

 牧村朝子『百合のリアル』(星海社新書、2013)。
 フランス人女性と結婚してフランスに暮らす著者による、「『レズビアンという概念と、牧村朝子という事例』を通して、男とか女とか、同性愛者とか異性愛者とか、オタクとか優等生とか、B型とかAB型とか、色々ザクザク切り分けられてるこの状況との、向き合い方を見つけるための本」(4頁)。各章の冒頭にマヤ先生の「本当の『モテ』を考える」と銘打った恋愛セミナーの漫画があり、続いてそこに集った16歳から30歳までの四人の対話、さらに解説として「まきむぅからの手紙」が置かれる構成。
 こういう本に中高生の時に出会えていたらどんなに良かっただろうと思う。買ってからすぐ電車の中で読んでいて、涙が出て来て困った。
 まず最初に「カミングアウトを済ませなければならなかった相手は、他でもない自分自身でした」(200頁)とあるように、自分で自分のことを認めるという、多くの人がつっかえてもがくような過程が繊細にすくいあげられている。「どういうわけか『レズビアンになるためには女性とセックス経験がなくてはいけない』と思い込んでいた」(202頁)という著者の経験は、そのまま「女になるためには男性とセックス経験がなくてはいけない」、さらには「まともな人間とみなされるには誰かにセックスしてもらわなければならない」と思い込んでいた自分と重なるようで、読んでいて痛みが走った。
 区別する言葉によって自分も他人も決めつけない、ということは、言葉で定義され器の中に収められそうになった時、あるいは自分が相手を器に押し込めそうになった時、立ち止まって自分と相手を息苦しくしているものを別の見方から捉えることであるだろう。
 また、終盤の「完全な悪者にできる加害者なんていない」「セクシュアリティのことに限らず、知らないうちに誰かを傷つけていることもある」(228頁)「自分は駄目だって言うことが、逆に人を嫌な気持ちにさせることもある」(229頁)という台詞など、かなり普遍的な内容につながってゆく。
 読者ひとりひとりがそれぞれの経験を通じて自分と他人を受け入れられるよう、著者からそっと手渡された言葉の集まりだと、大切に受取った。