オルガ・コロトカヤ『トゥバの喉歌』(SING、2018)

 アジアンドキュメンタリーズで配信。シベリアに位置し、モンゴルに隣接するトゥバ共和国。女性が喉歌を歌うことは、トゥバ文化への冒瀆として禁忌とみなされており、喉歌を歌う女は子孫繁栄という最大の福を得られないとまでいわれていた。それでも90年代以降、次第に女性歌手の活動が広がっている。

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 中でも知られるのは1998年にチョドラー・トゥマット(Choduraa Tumat)の設立したトゥバクィズィ(Tyva Kyzy、トゥバの娘たち)は、女性だけの喉歌グループだ。

tyvakyzy.com

 撮影は5年間にわたり、喉歌を習いにチョドラー・トゥマットのもとを訪れた少女たちが、母となり小学校教師となった姿に加え、海外から教えを請いに訪れる女性まで映されている。

 ホーメイはモンゴル相撲の選手のような体型の男性が歌うものというイメージがあったが、バレリーナのような女性であっても同様に声を響かせるに支障はないらしい。

 芸術大学民族音楽を学ぶ学生たちに、喉歌を教えてはどうかと男性教員に提案するやりとりが映される。女性が歌うことに反対はしないものの、女子学生も実技を教える対象にすることには強い抵抗があるようだ。チョドラー・トゥマットのレッスンを受けに来る女性の中にも、親族には喉歌を習っていることを明かしていない者もいる。

 最後にグループの女性たちがテーブルを囲んで語り合う場面がある。女が歌うことが許されないのは、喉歌が男の役割の象徴のようなものであるから、そこから女たちを閉め出して劣位に置きたいのだと指摘される。女が歌うことと不妊が結び付けられるのは、多くの子供をもうけることが幸福だと信じられている中、女の役割から逸脱すれば報いを受けることになるという脅しであるようだ。チョドラー・トゥマット自身は独身で子供もいないため、女性に歌うことを禁ずる人々によって、「彼女のようになる」としばしばやり玉に挙げられるという。このドキュメンタリーで前面に出ているのは、歌う女としての自主性だが、国家芸術家の称号を得てもなお、伴侶を持たず子供を産まない女として蔑まれることの苦渋も透けて見える。

 

 このドキュメンタリーを観ようと思ったのは、西シベリアのチュリム人のバンド  OTYKEN  の曲を聴いたのがきっかけだった。フォークメタルの流れに位置付けてよいのかどうか、民族衣装に身を包み、伝統楽器を奏でながらシャウトしたりスクリームしたりするパワフルなパフォーマンスだ。喉歌デスヴォイスのような効果を添えているが、やはりその部分は男性メンバーが担っている。女性の喉歌についてのドキュメンタリーが配信リストにあったはず、と思い出してトゥバに行き着いた。喉歌の伝統のある地域では、男性が歌うものとみなされているのかもしれない。


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