ザハヴィ・サンジャヴィ『わたしの、幼い息子イマド』(Imad's Childhood、2021)

 イラクのヤジディ教徒の村から、ISISに拉致された女性と子供の解放後の日々をめぐるドキュメンタリー。アジアンドキュメンタリーズの配信で視聴。二年半にわたる拘束後にようやく解放された母と、二人のまだ幼い息子。父はモスル解放後も消息不明で、子供たちには父の記憶もない。

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 上の息子イマドは四歳半で、母の近くで過ごせる時間が長かった弟とは異なり、拘束中は母から引き離されて兵士の間で育った。クルド語の使用も禁じられていたため、アラビア語しか話せなくなっている。銃のおもちゃを好み、感情を表現するすべを知らず、獣のように唸っては、気に入らないことがあると母の顔にでも平気で唾を吐きかける。父方の祖母の家に同居することになるが、祖母のことも母のことも名前で呼び、おばあちゃんやお母さんという言葉が口から出ることはない。

 長期にわたり性暴力にさらされてきた母自身もケアを必要とする状態で、息子が必要とするものを与えるのは困難だ。幼児とはいえ、かんしゃくを起こして手負いの獣のように暴れる上、手当たり次第に噛みつき、母を深く傷つける。子供に罪はないといっても、正直なところ、あの状態の子供に愛情を注ぐ義務を母に課すのはあまりに過酷だろう。

 幼稚園に通わせようとするが、初対面の園児を順番に叩いて回る始末。アラビア語の分かる年上の男児が、「これは誰それだよ、叩いちゃだめ」と面倒をみようとするものの、攻撃的な衝動は抑えられない。女児に対してはすぐ頭の上の壁を叩いて威嚇する。園児たちは叩かれてもゲームのようにキャーキャー笑って騒ぐくらいで、やり返しもしないのが偉いが、やはり脅えたような表情を見せる女児もいる。皆で笑い声を上げて対処するのも、一種の防衛機制なのかもしれない。結局、入園は断られる。

 児童心理学者の女性が継続的に通ってイマドのケアに当たることになる。最初のうちはほかの子供たちが遊ぶ様子を見ているだけだが、時間をかけて彼女と打ち解け、二人だけでなら遊べるようになる。それでも人形の首を切って四肢をバラバラにしたりと、破壊的な遊び方をやめるのは難しい。

 しかし、だんだん祖母と一緒に過ごす時間が増え、落ち着きを見せるようになる。鶏の餌にするためにパンをちぎるような、無心で続けられる単純作業が気に入ったらしい。小麦粉をこねて薄焼きパンを作るうち、祖母の巧みさに賛嘆を隠さなくなる。女は一段劣った存在だと刷り込まれ、母や祖母を蔑む側に回るよう教えられていたのだろう。

 そのうちにクルド語も少しずつ取り戻し、人見知りも始まり、知らない人と会う時は祖母の後ろに隠れようとするようになる。誰にも体を触らせようとしなかったが、少しずつ児童心理学者と二人の時は身体接触遊びもできるようになる。近所の子供たちとも、むらはあるものの一緒に過ごせるようになり、いずれ集団遊びもできるようになりそうだ。そしてついに母を「ママ」と呼べるようにもなる。

 やがてモスルが解放され、ISに連行されていた別の子供たちも帰って来る。判断の基準を持たない幼児は、首まで埋められるというのがどれだけ常軌を逸した暴力かを知らず、淡々と口にする。部屋の隅でそれを聞いていたイマドの表情が変わり、落ち着きを失う。

 そのうち記憶の底に封じられ、拘束されていた当時のことは思い出せなくなるのかもしれない。しかし、こうして次々にイマドのような経験をした子供たちが戻って来るとなると、共同体全体でその世代の傷をうけとめなければならなくなるだろう。拘束を免れた子供たちも、これからの学校生活を通して間接的にその傷を負ってゆくことになる。

 そして何より、母たちの受けた傷の快復には、さらに時間を要するだろう。余計なことは問わず語らず、一緒に受け止める静かなつながりに宿る深い知恵は希望のように見える。しかし同時に、口に出して分かち合うことのできない、語り得ぬ領域の沈黙の重さがのしかかる。

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