エドガー・ライト『ラストナイト・イン・ソーホー』(Last Night In Soho、2021)

 黄金の60年代に憧れる少女エロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンの服飾学校から合格通知を受け取り、コーンウォールの田舎を出る。彼女の母もかつてロンドンに暮らしたことがあったが、大都市に飲み込まれ、エロイーズが7歳の時に命を絶っていた。それからずっと祖母と二人暮らしだったため、祖母は孫娘の夢を応援したい反面、単身ロンドンに行かせることには不安を感じてもいる。また、それとは別に、エロイーズには時として亡くなった母の姿をはじめ死者を見る力があることも、不安の要因である。

 祖母の心配を振り切るように出て行ったエロイーズだが、ロンドンでは駅から乗ったタクシーの運転手が卑猥な話をしかけ、慌てて途中で降りる。性暴力の話だと聞いたので、かなり身構えたが、主人公自身が危険な目に遭うシーンはここだけなので、ワンクッション置いて見られる。

 どうにかこうにか寮にたどり着いたものの、ルームメイトたちはブランドファッションに身を固め、手製の服で来た地味なエロイーズを田舎者と露骨に見下す。すっかり嫌気がさした彼女は、古いアパートを探してひとり暮らしを始める。大家は年配の女性で、男子禁制など口うるさそうだが、60年代の雰囲気そのままの部屋にエロイーズは惹きつけられる。

 その部屋で眠ると、夢にはサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)という歌手志望の女が現れ、エロイーズはサンディの視点から60年代SOHOの夜を体験することになる。エロイーズにとってサンディは60年代のアイコンでありミューズとなる。そしてサンディのデビューしたクラブが現在も営業中だと知り、そこでアルバイトをすることに。このあたりまではミュージカル映画のようなカメラが楽しい。

 だが、楽しい夢は三夜と続かず、サンディはジャック(マット・スミス)という男と恋に落ち、彼の紹介でデビューするが、それはレビューの踊り子としてだったことが分かる。ショーの後は指名客のテーブルに着き、さらに売春を強いられる。ジャックは最初に人から罵られた通り、そうやって次々に若い女と関係を持っては働かせるピンプだった。

 夜な夜なサンディの苦痛を追体験するエロイーズは、しだいに様子がおかしくなり、同期の男子学生ジョン(マイケル・アジャオ)に心配される。起きている間もサンディと男たちの姿を目にするようになり、そしてついに自室のベッドで血まみれで横たわるサンディの姿を幻視し、パニックに陥る。

 サンディの髪型をまねた途端、通りで自分に声をかけてきて、何かと姿を現す老人がジャックではないかと考えたエロイーズ。サンディ殺害事件の犯人を追うべく、図書館で昔の新聞記事を検索する。正面きって老人にサンディに何をしたか尋ねるが、「アレックスがサンディを殺したんだ」とはぐらかされるばかり。アレックスというのはサンディことアレクサンドラがその場その場で名乗っていた愛称のひとつだ。

 顔のない灰色の男たちの亡霊がエロイーズにつきまとうシーンが何度かある。無数の手が全身を這い回るショットは、日本の痴漢ものAVを手本にしているのではないかという気すらしてくる。

 結局、サンディは殺されたのではなく、ジャックをはじめ自分にのしかかってくる男たちをみな殺害して床下に隠していたことが判明する。そして、彼女こそがエロイーズの大家の若き日の姿であった。

 エロイーズがジャックだと疑っていた老人は、もと警察官で、SOHOの女たちをみな知っているのは風俗取締り係だったからだという落ち。

 死者しか幽霊にならないという思い込みの裏をかく設定。子供の頃、誤解から叱られて悔しくて泣きじゃくっていた少年の姿が、少年が老人になってなおその場にしばしば現れるという怪奇小説があったが、それと同じパターン。自分が「死んだ」瞬間はその場所の記憶として留まる。