シルヴァン・ホワイト『スレンダーマン 奴を見たら、終わり』(Slender Man、2018)

 ネット上のミーム「スレンダーマン」に、ボディホラーの要素を交えた映画。中学生向けに作られたようで、恐怖描写は控えめだが、画面に映らない部分への妄想をたくましくすると別の側面も見えてくる。

 アメリカの田舎街の女子高生4人組。ずっと同じ年齢に留まれるなら何歳を選ぶかという質問に、10歳・21歳・30歳と答える友人に対し、ハリー(ジュリア・ゴルダニ・テレス)は「ずっと今のまま4人でいられたら」と答える。

 男子たちがスレンダーマンを呼び出してみると聞きつけた4人は、面白半分にスレンダーマンを召喚するというウェブサイトの動画を再生する。そこには不気味なうす暗い針葉樹の林と、幹から姿を現す顔のない痩せた男の影、そして瞳がモンタージュされた映像が流れるだけだった。

 それから一週間後、4人組の一人ケイティーが墓地で失踪する。スレンダーマンに攫われたのだと考えたレンは、ほかの二人を誘って友人を取り戻すためのまじないを行うが、失敗してしまう。

 顔のない灰色の男というイメージに加え、尖った木の枝のような触手にからめ取られるところから、貫通を連想させる。生物の授業では魚の眼球を観察する実習があり、眼球にメスを入れるレンから、ハリーが目を背けるシーンがある。これは「不気味なもの」そのままで、性行為と妊娠への不安を暗示させるモチーフをちりばめているのだろう。スレンダーマンの伝説を信じるようなティーンネイジャーの世界から脱出しようと、ハリーは同級生男子からのデートの誘いに応じるが、親密になろうとした瞬間に相手の顔がねじれ、スレンダーマンの幻影と重なるシーンに明らかだ。

 深読みすると、最初に姿を消すケイティーについては家出なのだろう。彼女は街を出たがっているが、それは不可能だと理解している。理由は不明だが、アルコール依存症らしい父と二人暮らしで、何か事情がありそうだ。ケイティーの失踪後、この父親は泥酔してハリーの家に侵入する。映画で扉や窓が破られるのはだいたい破瓜の記号と短絡的な読み方をするならば、ケイティーに対する性的虐待がほのめかされることになる。ひときわ大人びた容姿で、透きとおるように白い肌にストロベリーブロンドの彼女は、一足先に街の外へと出て行ったのかもしれない。ほかの三人がスレンダーマンと結び付けたことで、都市伝説がさらに拡散される。

 『キャリー』が主人公の初潮から始まるのと同様の暗示も見られる。序盤、家族の夕食の席で、ハリーと妹のリジーは意味深な視線を交わしている。それから一週間後の姉妹の会話で、姉の友人たちと遊びたがり「もう子供じゃない」というリジーに、ハリーが"Physical age, maybe."と答えているところをみると、多分リジーは初潮を迎えたのだろう。陸上部のある女子が妊娠し、出産のために退学するという話題をわざと食卓で持ち出すのも、妊娠する身体に対する憧憬と嫌悪や恐怖が入りまじった感覚をカムフラージュしているようだ。ハリー自身の幻覚にも、妊娠してふくらんだ腹を突き破って黒い木の枝のようなものが生えてくるシーンが見られる。

 結局、召喚に手を出してしまったリジーを解放するため、ハリーは幻覚の中でスレンダーマンに"Take me."と告げる。すると、ビジネススーツに身を包んだ顔のないスレンダーマンは、蜘蛛のような奇怪な姿に変じ、枝のような触手でハリーをからめ取る。木の幹に同化してゆくハリーの姿は、アポローンから逃げて月桂樹へと化したダフネの神話をなぞるようだ。

 都市伝説の伝播についての語りで映画は幕を下ろすが、終盤は性への恐怖を暗示するボディホラーの色彩を強めており、表面的な恐怖の形象化と、その下の層にある見えない恐怖の二層が楽しめる。