デヴィッド・ゴードン・グリーン『ハロウィン KILLS』(Halloween Kills、2021)

 『ハロウィン』シリーズの2018年版の続編とのこと。1978年の事件を経て、40年後の2018年、当時の関係者が病院から脱走した殺人鬼ブギーマンことマイケル・マイヤーズと対決したのが2018年版らしい。そちらを見なくても大筋は分かるものの、両作品は完全につながっているので、順番通りに見るべきだったようだ。
 6歳にして姉を刺殺したというマイケルは、マスクですっぽり頭を隠し、ハロウィンの夜に大殺戮を行う。銃で撃たれても刃物で刺されてもほとんどダメージはなく、目にした人間はまったく動機も躊躇もなく無差別に殺害し、その遺体を目立つところに飾り付ける(ただし子供の殺害や遺体は暗示にとどめられ、その場面は映らない)。どう考えても単独では実行不可能だが、そういう超人的な存在ということなのだろう。
 40年前の事件の関係者をはじめ、親族や友人を殺された人々の間には恐怖と不安が蔓延する。警察が機能しない以上、自分たちの手でマイケルを殺すのだといって手に手に武器を取った人々が自警団のように町に出る。殺人鬼は素顔を見せないので、てっきり彼を殺そうとしている町の人々の中に、マイケルに成り代わった真犯人が紛れ込んでいるのかと思って見ていたが、そうではなく、顔のない殺人鬼はあくまで恐怖と不安の象徴だった。
 病院が封鎖されてパニックが起こるシーンが中盤にあるが、これは『ミスト』と同様の意味でぞっとする。「あいつがマイケルだ」と誰かが指差せば、集団心理でリンチに至る。階段で転倒者が相次いだり、いつ群衆事故が起こってもおかしくない混乱ぶり。「自分たちの町を守る」と口々に悪を倒すスローガンを叫ぶ様子は、「暗い窓の外に映る自身の姿」の諷刺として、トランプ後のアメリカ映画らしい。
 共同体を破壊しようとする「悪」の体現者に「自分たちの手で」とどめを刺すのだというオブセッションと呼んでもよいようなヒロイズムを見せられると、だんだんと殺人鬼に肩入れする気になり、「マイケル、頑張って立ち上がれ、お前を私刑にしようとしている連中に思い知らせてやれ!」と声援を飛ばしたくなってくるのは、それでもう映画の術中にはまっているのだろう。殺人犯の内面や生い立ちについて一切説明はなく、マスクで表情も見えず台詞もない。ただ無慈悲で残虐な殺害だけが淡々と続き、目的も理解できない。まったく同情を寄せる余地はないモンスターとして描写されているにもかかわらず、それを退治しようとする群衆の方がむしろ人間の顔が見えるだけにおぞましい。
 ホラー映画の「それをやったら死ぬ」というパターンを、全員が律儀に踏襲してゆくところは、きちんと期待通りの結末になる爽快感がある。
 それにしても、いくら40年の時間が過ぎているとはいえ、かつてあれだけの事件を起こした犯人の実家が手入れされてそのまま残っており、物好きにもそこに住んでいる者がいる(幸福なカップルだ)という設定に驚く。廃墟になるか取り壊されて更地になりそうなものだが、アメリカの場合は日本のように頻繁に建て替えをしないから特に不思議でもないということなのだろうか。