ナ・ホンジン『哭声/コクソン』(곡성、2016)

 國村隼が韓国の村人を殺しまくるゴアフィルムかと思って見たら、殺傷シーンやアクションが主眼ではなく、理解できない事態に直面した際に何を「信じる」のかというサスペンスだった。ひとたび因果関係が仮定されると、その後はそれを証拠付けようと試みるばかりで、そもそもの因果関係が疑われることはない。漢方、西洋医学、祈祷師、教会と、それぞれに頼りながら村人の生は営まれている。いずれも問題に対して「どれが効いたか」は当事者の見方による。
 同時に、ホモソーシャルな共同体の中で、さらに警察官という象徴的な立場にありながら、組織内で無能力者と位置付けられている主人公が、ついに父親の権威まで失墜し娘の愛も失う話であると見ることもできそうだ。
 韓国の山あいの村で暮らす主人公ジョング。警察官だが、そもそも重大事件が起こるような土地でもなく、捜査能力は皆無に近い。そこに連続殺傷事件が起こる。最初の事件発生時に「人が死んだから早く来い」と呼び出されても、同居の姑に頭が上がらず、「ご飯を食べて行きなさい!」と叱りつけられれば飯を食って出発する始末。
 農村部の昔ながらの家ばかりで、どの家も日常的に斧や鉈を使っているので、凶器には簡単に手が届く。加害者はいずれも自分の家族を殺傷したものだが、犯行現場で拘束された際には、その皮膚には赤い湿疹が出て、白目をむき、心神喪失状態にあることが見て取れる。
 二件目の火災の跡地を見張っている時、白い服の若い女が近付いて来て、事件の経過をその目で見たかのように説明する。ジョングは慌てて「見たのか」と尋ね、女が頷くと署に連絡するが、電話している間に女は姿を消してしまう。結局、目撃情報の真偽は不明だが、署を騒がした上に目撃者に逃げられたというのでジョングはこってり絞られるはめに。
 時を同じくして、最近やってきて村はずれに住み着くようになった日本の男(國村隼)が怪しいという噂が耳に入るようになる。男が山中で、褌一丁で這い回り、鹿の死骸を食らっていたとまことしやかに囁かれているのだ。最初はただの冗談だと思っていたジョングだが、次第に日本人を調べる必要があるという気持ちに傾く。さて、ここからは聞き込みや事情聴取の規則を思い切り逸脱し、日本人の留守時に家に踏み込む。そこで発見されたのは、犠牲者の被害前後を捉えた大量の写真を貼った小部屋に、赤い紐をかけた怪しげな像を祀り、牛の頭を備えた祭壇だった。
 さらに、村人の持ち物が数点発見され、その中にジョングの娘の名前が記された靴があったことから、ジョングは娘が最近熱を出したのも呪詛の対象になったせいではないかと恐れを抱く。帰宅して娘に事情を聞くものの、日本人と会ったということ以外は口をつぐむ。問いつめようとすると、別人のように口汚く父を罵る始末。その夜、こっそり娘の体を調べたジョングは湿疹を見つけるが、それに気付いた娘は、大声で怒鳴り散らし激しく暴れる。
 怒りに駆られたジョングは、再び日本の男の小屋を訪れ、出て行くように警告した後に猛犬を殺し、祭壇をめちゃくちゃにして帰る。
 姑が人を介してムーダン(男巫)に依頼し、家に来てもらう。なんと醤油の甕にカラスの死骸が入れられていたことが判明し、この家に呪いがかけられていると判断した祈祷師は祭儀を行う。しかし娘は「やめろ」とわめくばかり。もっとも、太鼓のリズムに合わせて二振りの剣を持って踊り狂い、頭上で刃を打ち合わせたりする激しい祈禱なので、むしろ幼児はそれがトラウマ体験になりそうな気もする。結局、呪いを解くことはできず、ムーダンは大金を要求して「殺」を打つことになる。彼の見立てでは、日本人は人間の姿をしているだけで、すでにこの世のものではなく、村人を苦しめる悪霊だという。だが、確かに肉も骨もある人間が果たして悪霊なのかと、ジョングは一抹の疑念を抱きつつ金を工面して祈禱を依頼する。
 ムーダンによる激しい祈禱と並行して、日本人も同時に一番新しく起こった家族殺害事件の犯人の写真を祀り、黒い鶏を何羽も逆さ吊りにして、太鼓を叩いて呪法を行う。ムーダンの方も鶏の首を切ってその血を顔に塗りたくり、祭儀はクライマックスに達する。庭に立てた柱を切り倒して太い釘を打ち込むと、日本人は倒れ、息絶え絶えになる。あとは山羊の喉をかき切って最後の仕上げをするばかり、というところまで来て、娘がもがき苦しむのに耐えられなくなったジョングは、祈禱の只中に割り込んで無理やり中止させる。
 このムーダンが事前に甕にカラスを仕込んだのだろうとか、村人の噂を調査して日本人を悪霊に見立てたのだろうとか、つい見ている側も疑いたくなってくる。ムーダンに絶対の信を置いていた時代とは異なり、医師の治療の効果がはかばかしくない場合、代替医療としてムーダンに頼るのだから、依頼する方も半信半疑だ。呪法対決のシーンまで来て、残りまだ一時間。これ以上盛り上げようがあるのかと心配になるが、ここからは心理戦になる。
 恐慌に陥ったジョングは、村の男たちに事情を説明し、日本人を追い出そうとトラックで襲撃に向かう。だが断崖で姿を見失い、諦めて帰途に就いた時、豪雨の山道に倒れている日本人の姿を見つける。彼らは共謀して日本人を谷底に放り出すが、それを山上から白い服の女が見ていた。
 村で売られていた漢方薬に幻覚症状を呈するキノコが混入されていたことに端を発すると報道され、一時は解決を見たかに思われる。ジョングの娘も快方に向かい、病院から帰宅したが、その晩に家から姿を消す。ムーダンからの電話に出てみると、「殺を打つ相手を間違った、悪霊は別にいる、あの日本人は悪霊から村を守ろうとしていたのだ」という謎展開。その直前に、ムーダンは白い服の女に出会い、激しく吐血して退却を余儀なくされていた。その女こそが真の黒幕だというのだが――。
 ジョングはムーダンの言う通り、女が悪霊ではないかと思いつつも、「鶏が三回鳴く前に家に帰ったらお前の家族は皆死ぬ」と告げられ、足が動かなくなる。ムーダンは電話で「その女には絶対に惑わされるな、今すぐに家に帰れ」と指示してくる。いつもどれか一つの道を信じ切ることができない、中途半端なジョングは最大の岐路に立たされる。
 タイトルは実在の地名「谷城」と「哭声」をかけたものだそうだ。
哭声/コクソン(字幕版)