ローズ・グラス『セイント・モード 狂信』(Saint Maud、2019)

 冒頭、女の長い頭髪から血が滴る。カメラが引くと、病室に横たわる女は身体を半分ベッドの外に出して、胸から血を流して死んでいる姿が映る。隅にうずくまる女性看護師、見上げた天井にコックローチが這う。

 英国の小さな街で住み込みの看護師として緩和ケアをしているモード(モーフィッド・クラーク)は、末期癌の元ダンサー・アマンダ(ジェニファー・イーリー)のところに勤め始める。神が自分に大きな使命を与えていると信じるモードは、アマンダの肉体の苦痛をケアするだけでなく、魂を救おうと試みる。

 アマンダは神の存在を感じるというのだが、マグダラのマリア像を胸に下げる彼女に神が訪れる時、彼女の法悦はエクスタシーそのものに見える。

 冒頭のシーンはフラッシュバックなのかフラッシュフォワードなのか途中まで曖昧だが、勤務していた病院を一年ほど前に辞めたという台詞から、病院での事件だと想像される。

 アマンダと関係のあった男や、今の恋人らしい女がしばしば訪れるのだが、それがモードには気に入らない。神と過ごす時間の邪魔になると言って、ひそかに恋人の女にもう来ないようにと言い渡してしまう。

 アマンダは移動こそ車椅子だが、腰かけて来客と話すのは差し支えないし、体力は衰えて酒量も減ってはいるが、セックスも楽しめる状態。恋人が遠ざかったのはモードの差し金だと気づいたアマンダは、自分の誕生パーティーに恋人を招き、皆の前で「モードは信仰心からか嫉妬からか恋人との仲を裂こうとした」と暴露する。「神の愛撫の方がずっといいものね」とからかわれたモードはアマンダに平手打ちをし、派遣業者からも解雇されるはめになる。

 そしてわざと露出度の高い格好で街に出て、行きずりの男と関係を持ったりするが、再び神によって昇華されるのを感じ、自分のミッションを悟る。

 アマンダの恋人に、「あなたがアマンダに向ける見下したような目が耐えられない」と言ったモードだが、再びアマンダの家を訪れた時、ベッドに横たわるアマンダを見下ろし、救い手としての役割を果たそうとする。しかしアマンダもさるもので、身体は弱っていても、聖人になろうとするアマンダに利用されることはない。「あなたほど孤独な子は見たことがない、神なんていないのは知っているでしょう」と言い放つ。そしてその瞬間、病んだ女の身体が強力な悪魔となってモードを吹っ飛ばす。

 半ばパニックに陥り、悪魔を殺すつもりでアマンダを刺殺したモードは、再びシーツを巻きつけたローブに聖像を胸に掛け、海辺に出かける。自分の背中に天使の翼が生えているのを幻視した彼女は、ガソリンをかぶり炎に包まれて昇天する。しかし、それは彼女の想像にすぎず、現実には悲鳴を上げて悶え苦しみながら焼き焦がされてゆく姿が瞬間的にインサートされ、エンドクレジットが流れる。

 小説なら三人称のようなカメラで、主観映像ではないが、モードの見ているものと映画内現実とが混然となる不思議な作り。狂信と言ってしまえば狂信なのかもしれないが、自分の信じた物語で現実を上書きすることは信仰に限らず起こり得ることだろう。尺は短いものの、色味が抑えられた画面で、小柄でとても若く見えるモードの身体が放つ強烈なエネルギーに当てられるような鑑賞体験だった。

 冒頭の天井のほか、モードの部屋にもコックローチが啓示のように出現し、祭壇へと彼女の視線を導く。本州のゴキブリとは種類が異なるようで、もっと硬そうなコガネムシのように見える。ちなみにクレジットによるとこのゴキちゃんの名前はNancyだそうだ。

 途中、神の言葉が入るのはウェールズ語らしい。モードの話し方も、たぶんイギリス英語に慣れた人が聞けば、ウェールズ英語話者だとはっきり分かるのかもしれない。

 

セイント・モード/狂信

セイント・モード/狂信

  • モーフィッド・クラーク
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