ウィリアム・フリードキン『エクソシスト』(The Exorcist、1973)

 カトリックの悪魔祓いの話だが、アザーンと共に太陽の色が変わってゆく印象的なオープニングだ。誤ってほかの映画を再生してしまったのかと思ったが、高齢の神父はイラク北部の遺跡で発掘調査に参加しているという設定だった。彼は帰国前、悪霊の頭部を象った小さな像を発見する。

 所変わってワシントン近郊のジョージタウン。シングルマザーの女優が娘リーガンとメイド二人、それに執事と暮らす家。離婚した夫は欧州におり、娘の誕生日にも電話一本寄越すでもない。階下でのパーティーの最中、魂が抜けたようにさまよい出て来て、不吉なことを口にしては招待客の前で失禁するリーガン。脳の異常を疑われていくつもの検査を行い、それから精神科に回されるが、誰も治療法が分からない。73年当時、精神科受診に対する心理的抵抗は相当強かったようだ。結局、精神科医も悪魔祓いを提案するのがせいぜいだ。リーガンの症状はひどくなり、ベッドごと浮遊したり、別人のように卑猥かつ冒瀆的な言動をとって暴れるようになる。仕方なく母は娘をベッドに縛り付け、近所の神父を呼んで悪魔祓いを依頼する。

 不在の「父」の穴埋めのように、「ファーザー」が二人も悪魔祓いにやってくるが、二人とも命を落とす結末。悪魔を自身の肉体に招き入れ、自らの肉体を滅ぼすことで悪魔を消すというパターンは、これが発祥だったらしい。

 女優と交際している(?)バークという映画監督は、180度首がねじれた状態で娘リーガンの部屋の窓から転落死しているのが発見される。この男が絶対リーガンに性的虐待をした(娘の部屋に入ったのは死んだ時が初めてではないはず)ものと疑って見ていたが、映画内では結局触れられずに終わった。しかし諸悪の根源はあの男だろう。娘はすべて覚えていないというのが救い。

 悪魔退治の話としてそのまま解釈も可能だが、母の交際相手からの性加害に耐える過程で、解離の症状が引き起こされたという裏のストーリーを読み取ることもできるだろう。