タイ・ウェスト『Pearl パール』(Pearl、2022)

 『X エックス』シリーズ第二作、老婆パールの若き日を描く。時代背景は『X エックス』の60年前、第一次世界大戦中の1918年で、夫ハワードは出征しており、しかもスペイン風邪の流行中。

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 家畜小屋の扉が開いて映画が幕を開けるが、パールの一家はドイツ系の貧しい移民で、父は寝たきりで口もきけず、可能なのは呼吸と嚥下のみ。母は父の介護と農場の切り盛りに忙しく、スターになる夢を持つパールから投げかけられる自分の人生を完全に否定し蔑むような視線に耐えられない。彼女にとってパールは「ウイルスを外から持ち込み両親を危険にさらす」存在である。

 『X エックス』とは別に単独で見ても完成したフィルムだが、ロケ地をはじめ両作はつながっており、対応するシーンを見出すのも容易だ。沼に半分沈んだ自動車の秘密や、パールがブロンド娘を嫌う理由も明かされる。1918年のパール母娘が囚われている農場が、1979年の『X エックス』ではエロティックな妄想の舞台に読み替えられていたこと、そしてパールとマキシーンが同一人物でなくてはならない理由も納得される。

 

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 夫のハワードはもともと地元の豊かな家の出身で、敵国ドイツ系のパール一家が肩身の狭い暮らしをしているのとは対称的である。パールにとっては願ってもない玉の輿だったはずが、ハワード(手紙の筆跡が美しく文化資本にも恵まれているようだ)は結婚後も農場でパールの家族と暮らすことを選ぶ。それは純粋な農村生活への志向というより、あえて両親が喜ぶ生活からかけ離れた相手を選ぶことであったらしい。ハワードにとっては、パールとの結婚は家庭の桎梏を逃れることであった。そのためにパールを農場に縛り付ける結果となり、その負い目から文字通り『X エックス』で「死が二人を分かつまで」妻に尽くすことになったと想像される。

 ハワードの母と妹は、パンデミックが終息に近付いた頃、パール一家を気遣い子豚を届けるが、パールの母は彼らに見下されていると感じ、「施しは受けない」と拒絶する。こうした階層性や常に憐れまれる立場からの脱出は、凄惨な殺人とその告白を経て「持っているものを大事にする」ことに収斂する。

 昔のハリウッド映画を踏襲するセックスシーン直前のアイリスアウトから、ラストの修羅場直前のアイリスアウトへと、編集もしゃれている。

 パールの側から見た世界を描くのには、ミア・ゴスの長いモノローグによる告白のスタイルが取られている。こうした言葉による心理描写は小説なら成立しやすいが、映画ではなかなか踏み切れないのではないか。ミア・ゴス自身が脚本に携わっていることも関係しているのだろう。ただ、撮影後にいくらでも映像をそれらしくつなぐ方法があると分かっている現在の映画では、ワンカットの緊張感は薄れてしまう。二回ほどつないだ箇所があるように見えたのは、「一コマくらい飛んでも気付かれない」という映写技師の台詞を受けて、あえてコマが飛んだような加工をしたのかもしれないが。

 ところで、鰐のセダちゃんは、卵を産んでいるところからすると、『X エックス』に出て来るのは実は代替わりした子孫なのだろうか。沼にほかの個体がいて交尾していると考えるのが自然だろうが、沼に一頭だけ囚われた雌が単為生殖しているとすれば、パールのクローンとしてのマキシーンの存在が分かる気がする。鰐のセダも人肉を与えられる代わりに禁欲を強いられていると思っておく方が面白い。(鰐も単為生殖する由)

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