レイナルド・アレナス『夜になるまえに ある亡命者の回想』

夜になるまえに

夜になるまえに

田舎にはぼくをたっぷり楽しませてくれたり、エロティックな妄想を忘れさせてくれるような儀式が他にもあった。その一つがクリスマスとともに来る。つまり、クリスマスイヴ。身内全員が祖父の家に集まった。子豚を焼き、クリスマス・ヌガーを作り、ワインの瓶を開け、盆をオレンジの砂糖漬けでいっぱいにし、ぼくには世界の果てから来ているように思えた赤いリンゴが包んであるキラキラ輝く色紙を開け、クルミやヘイゼルナッツの殻を割り、みんな酔っぱらった。笑い、踊った。手回しオルガンとグイロ、ドラムの楽団が即興演奏をするときもあった。すると田舎は夢のように美しい場所に変わった。それがいちばん楽しいときの一つで、みんなが中庭で遊んだり、小さな森を歩いたりするところを木によじ登って見ていた。

「クリスマスイヴ」(37頁)

 レイナルド・アレナス安藤哲行訳)『夜になるまえに ある亡命者の回想』(国書刊行会、1997年)。従妹と一緒に家畜小屋で土を食べていたという(しかも「まったく文学的なことでもなければセンセーショナルなことでもない。田舎ではどの子もそうしていたのであり、魔術的リアリズムやなんかとはまったく関係がない」という注釈が付く)幼少期の思い出に始まり、性的経験の数々から、カストロ政権成立後の親友さえも密告者になるかもしれないという緊張感、逃亡に継ぐ逃亡、そして囚人どうしいつ殺し合いになるか分からない刑務所、アメリカへの亡命と息つく間もないほど目まぐるしく展開する。
 キューバでは『夜明け前のセレスティーノ』一冊のみが出版され、後は書いても書いても原稿は当局に押収され、協力者に託した一部の原稿が難を逃れて国外で発表されたという。それによってますますアレナスは危険人物と目されることになり、少年たちの窃盗を訴えたのが逆に性犯罪の疑いで拘留、反革命分子として告発されることになってしまう。収監されてから隙を見て逃げ出し、公園に隠れながら『夜になるまえに』と題した回想録を書き始める。日が暮れて暗くなるまでの時間と同時に、捕らえられた時に待ち受ける「夜」までに残された時間を意味する題のこの初稿はキューバから持ち出すことができなかったが、亡命後にアメリカでHIV陽性を告知されてからテープに録音する形で口述を始める。
 キューバといえばまずマチズモの支配する社会で同性愛などはとても許されないというイメージがあったのだが、アレナスの性遍歴は人生のほぼ全ての局面で起きており(刑務所でだけは注意深く関係を持つことを避けていた)、思っていたよりはるかにハードルが低いようなのに驚いた。もっとも、ことが終わった途端に相手が豹変して暴力をふるったり警察に連行されたりということもあるから、周囲に見とがめられる危険以上に相手の見極めに失敗することがもたらす危険の方が大きいのかもしれないが。こうした当時の環境については「エロティシズム」と題された章節に次のように綴られている。

 何がキューバの性的抑圧を推し進めたのかといえば、まさしく性解放運動だったのじゃないだろうか。たぶん体制に対する抗議として、同性愛はしだいに大胆に広がっていったのだろう。一方、独裁は悪と考えられていたので、独裁が糾弾するものはどんなものであり肯定的なものであると、体制に従わない人たちは見なしていた。六〇年代にはすでに大半の人がそんな姿勢だった。率直に言って、同性愛者用の強制収容所や、その気があるかのように装ってホモを見つけ逮捕する若い警官たちは、結果として、同性愛を活性化したにすぎないと思う。
 キューバではクラブや浜辺に行ってもホモのための特別な区域はなかった。ホモに闘争的な姿勢をとらせるような仕切りはなく、みんながいっしょに使っていた。そうしたことは最も文明の進んだ社会では失くなっている。そこではホモは性的活動から隠遁したような人間にならなくてはならなかったし、また、見たところ非同性愛的な社会、間違いなく同性愛者を排除さえする社会から離れなくてはならなかった。キューバではそうした仕切りがなかったため、男と関係を持つのにホモになる必要がなかった。それがキューバの同性愛の面白いところだった。正常な行為として男との関係を持ちえたのだ。同様に、ホモの好きなホモは何の気兼ねもなく連れ立って歩いたり、いっしょに暮らしたりすることができた。本当の男が好きなホモにしても、自分と暮らしたがっている男っぽい男を見つけ、その男の両性愛的な行動をまったく妨げずに親密な関係を持つことができた。何が正常かと言えば、ホモがホモと寝るということではなく、ホモをものにするとき、ものにされるホモと同じくらい悦びを感じてくれる男を探すことだった。(159−160頁)

 もう一つ驚いたのがガルシア=マルケスに対するアレナスの評価。

 今世紀の最もよく知られた知的不正の一つがホルヘ・ルイス・ボルヘスであり、単に政治的姿勢のせいでボルヘスは組織的にノーベル文学賞を阻止されたのだ。ボルヘスは今世紀の最も重要なラテンアメリカ作家の一人である。たぶんいちばん重要な作家である。だが、ノーベル賞はフォークナーの模倣、カストロの個人的な友人、生まれながらの日和見主義者であるガブリエル・ガルシア=マルケスに与えられた。その作品はいくつか美点がないわけではないが、安物の人民主義が浸透しており、忘却のうちに死んだり軽視されたりしてきた偉大な作家たちの高みには達していない。

「マリエル誌」(389−390頁)

 こう言われると、『族長の秋』を読み返してみなければという気になる。
 アレナスの「苦悩の五部作」こと〈ペンタゴニア〉のうち、日本語に訳されているのは『夜明け前のセレスティーノ』のみだが、特に彼があれほどまでに執念を燃やして執筆した『ふたたび、海』はいつか紹介されることを強く望みたい。

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

 

  そういえば、『セレスティーノ』では晩唐五代の詞集『花間集』収録作の引用が見られ、アレナスはどうしてそんな詞に接したのだろうと不思議だったが、図書館勤務の時期に所蔵されているあらゆる本を読破したとあるので納得した。ことによるとフランス語訳で読んだのかもしれない(『花間集』の翻訳状況は知らないが、中国の詩詞はスペイン語より仏語に訳されたものの方が多いのではないか)。