前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』

江戸の読書会 (平凡社ライブラリー)

江戸の読書会 (平凡社ライブラリー)

 


 前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社、2012年10月)。伊藤仁斎荻生徂徠に始まった読書会を、中国の科挙制度のようには学問が出世に結びつかない社会での「遊び」と位置づける視点から、明治の自由民権運動結社に至るまでの会読の流れを跡づけてゆく。
 会読の場では、身分や社会的地位、長幼といった序列を超えて参加者が互いに意見を交換し、その席で抜きん出ること(場合によっては順位がつけられることもある)が競われた。その知的な競争の空間では、ものを言うのは禄高などではなく自身の能力である。とすると、現実社会で不遇をかこつ者にとって、読書会はある意味では承認欲求を満たされる場となり、ますます学問に身が入るということにもなったろう。従って、明治に至って学問を通じての立身出世が可能な社会になると、会読はすたれ、競争相手を利することのないよう皆ひとりで勉強するようになる。
 徂徠の訳社など、白話中国語の学習になぜ門人たちも含めそこまで熱心に打ち込んだのか、古文を知るためには同時代のことばとの懸隔を身で以て知らねばならないから、という理屈では説明されても、どことなく釈然としなかったが、「遊び」だからこそ真剣だったのかと考えるといくらか得心がゆくようだ。
 ところで、吉田松陰が遊学先の江戸でほぼ毎日何らかの読書会や講釈に出かけ、空いた時間には名士を訪ね回っていたという記述(278−279頁)に驚かされる。そんなに出歩いていては、読書会の予習や参考文献の準備もままならないだろうと思うのだが、読んでおかなければならない本の多さに圧倒されながらも何とか咀嚼しようと試みていたのだろうか。
 ないものねだりながら、巻末に文献一覧と索引があればどれだけありがたいだろうと惜しまれる。