魏徳聖『セデック・バレ』(太陽旗・彩虹橋)

 台湾版DVDで魏徳聖ウェイ・ダーション)『セデック・バレ』上「太陽旗」・下「彩虹橋」をまとめて鑑賞。来春劇場公開予定だそうだが、製作中にメイキングのあれこれを伝えていた公式ブログは更新停止したままでまだ情報がない。
 上「太陽旗」が144分、下「彩虹橋」が131分とかなりの長尺。蜂起に至るまでの経緯も語られる上巻はともかく、延々と戦闘場面が続く下巻は少々途中で食傷して休憩を入れた。人物が多い上、ひとりひとりについてかなり背景を描き込んだ上で出撃させているので、この長さでもまだ語りきれないくらいなのだろうが、劇場で見たらかなり消耗しそうだ。しかしこれだけ時間をかけても、第二次霧社事件やその後の生存者の川中島への強制移住などは最後に字幕で紹介されるだけなのだから、これはもう大河ドラマにでもするような題材かもしれない。
 マヘボ社の頭目となるモーナ・ルーダオの最初の「出草」、そこで同じくセデック族の道澤郡の鐵木・瓦力斯(ティム・ワリス?)と因縁が結ばれる場面から始まる。マヘボと道澤の人々は言葉も服装も全く同じで、見分けがつかないが、狩り場をめぐって代々縄張り争いが繰り広げられている。隣村との水争いのようなものかもしれないが、相手の首級を挙げるまでとことんやるので命がけだ。
 そうして部落の暮らしの前置きの後で、日本統治時代が描かれる。すでに老戦士となったモーナは現実的に、日本側との無用な軋轢は避けて一族を守ることに重きを置くようになっている。全面戦争になったら勝ち目はないと認識しているためだ。しかしそれが、族人の結婚式の際に日本人警官に酒を振る舞おうとして拒まれたことから起こった騒ぎをきっかけに、次第に変化してゆく。
 日本支配に対する抵抗は思ったより前面に出ておらず、あくまで「血で祖霊を祀る」こと、自分たちがセデック人として死ぬことが目的として最も強く印象づけられるような描き方だったように思う。最初から敗れることが分かっている戦いでは、生きるか死ぬかではなく、どう死ぬかが問題になる。死を恐れない人間ほど恐ろしいものはないので、死を恐れない、すなわち生に執着のなくなる状況まで、自分も他人も追いつめてはならないのだと思う。
 モーナ・ルーダオ役の二人の俳優が、どちらもどこから探してきたのだろうと思う程良い顔をしている。壮年時代を演じた林慶台は演技未経験の素人で、長老教会の宣教師だというから驚く。ほぼ全編セデック語の作品であるため、言葉のできる俳優という条件で地元で探したようだが、演技の巧拙より風格が違う。日本語の台詞が幾つかあるが、決して流暢ではないものの押し出しが良く、片言の言葉を操ることでも威厳が目減りしたりしない。外国語学習というのは、上手に話せるようになることより、下手でも相手に侮られることのないような態度を身につけることを目指すべきではなかろうか、とちらりと考えた。青年時代を演じた大慶も素人で、出演を機に芸能界入りし、最近では舞台劇『台北爸爸,紐約媽媽』*1にも出ているそうだ。
 ところで、全般にCGがいかにも作り物めいている点は興ざめだ。特に狩猟の場面など動物はほとんど合成だが、ディズニーアニメかアバターかというようなデフォルメされた動きが画面に不釣り合い。カンボジアの『怪奇ヘビ男』*2に出てきたインコのかわいらしさが懐かしくなった。
 霧社事件といえば、台湾の舞鶴の小説に、語り手が川中島(清流部落)を訪ね、フィールドワークによって霧社事件とその生存者の記憶をたぐり寄せようとする『餘生』がある。確か全書を通じて句点が一つしかない、切れ目なく続いてゆく文体で、しおりを挟む場所に苦労した記憶があるが、これも読み返してみなければ。

原題:賽徳克・巴萊
英題:Seediq Bale
製作年:2011
制作国:台湾
言語:セデック語、日本語
プロデューサー:吳宇森(ジョン・ウー)、張家振、黃志明
監督:魏徳聖ウェイ・ダーション/Te-Sheng Wei)
脚本:魏徳聖
出演:林慶台(リン・チンタイ/Lin Ching-Tai/Nolay Pihu)、大慶(ダーチン/Da-Ching/Yuki Daki)、馬志翔マー・ジーシアン/Umin Boya)、安藤政信河原さぶ木村祐一、徐若瑄(ビビアン・スー/Vivian Hsu)、溫嵐(ランディ・ウェン/Landy Wen)、羅美玲(ルオ・メイリン/Lo Mei-Ling)、田中千繪
音楽:何國杰 (リッキー・ホー/Ricky Ho)
編集:陳博文、蘇珮儀
撮影:秦鼎昌

*1:原作をだいぶ前に買ってあるのに読まないうちに舞台化までされてしまった…。

*2:今になって思いついたけれど、あの蛇の髪を持つ少女(けなげでかわいかった!)は今年の年賀状の図柄に使えたなあ。